「季史さんからは、良い匂いがしますよね」

 しとしとと降る雨を眺めながら、その天気とは正反対の笑顔であかねは言った。

 特に他意は無さそうな口振りは、ただ純粋に感じたことを口にしているのだろう。

 言われた当の本人はと言えば、やや不思議そうとすらとれる顔をし、ゆるりと首を傾げてみせる。

「そうか……?」

 言われた事が解っているのかいないのか酷く曖昧な受け答え。

 けれどもあかねは其れには動じずに、はい。と頷いてみせるのだ。

「上手く言えないんですけど……私、好きです」

 真っ直ぐな言葉に、季史は少しだけ、眩そうに目を細める。

 そして、じっとあかねの顔を見詰め重たい唇を開いた。

「あかねは……、陽だまりの匂いがするな」

 ゆっくりと、単調とも取れる言葉は、其れでも聴くものが聴けば解るだろう、相手に対する愛しさに満ち溢れている。

 だが、あかねはきょとんとしてみせた後に僅かに頬を赤らめて、少しだけ、恥ずかしそうな素振りで口篭った。

「今日、晴れてたからお庭でお昼寝しちゃったんです。……き、気になりますか?」

 陽だまりの匂いと言っても、其れは太陽だけをさすわけではないとあかねは思ったのだろう。

 例えば草の匂いだってそう。

 指摘されたことであかねの頭は其れでいっぱいになり、困り顔になってしまう。

 けれども季史は――やはり不思議そうな顔で緩く瞬くと顔を近づけ、す、とあかねの髪に指を伸ばした。

「私の、好きな匂いだ」

 先程のあかねの言葉と似ている筈なのに、其れは異なるもののように響く。

 其の言葉に込められた想いに意味があるから、確かな想いを持って其の言葉を紡いだから。

 極々何気なく紡がれた言葉とは違った響きになってしまうのだ。

 そっと匂いを感じるように髪を顔に近付け、季史は密やかに掬った髪に口付ける。

 其れを見たあかねは、ぱっと顔を赤らめ、唇を引き結んでしまった。

「――きっと、木漏れ日の降り注ぐ中に居るそなたは、さぞや美しいのであろうな……」

 幾ばかの寂寥を思わせる口振りは、あかねの耳に如何響いたのか。

 嬉しい言葉である筈なのに、まるで絵空事を言うように、季史は語る。

「……季史さんは、余り外に出ないんですか?」

 内裏の中にも美しい場所はたくさんある。

 けれども、例えば奥に居るばかりというものであれば、そういう事も無いとは言えない。

 季史はあかねの言葉に緩く頷いて見せ、軽い肯定を示す。

 其れが余りにも寂しげで、……諦めているようで。

 放っておけなかった。

 いや、そんな偽善的なものではなかったのかもしれない。

 ただあかねは、季史が喜ぶ姿が見たかったのだ。

「ね、季史さん。今度、一緒にピクニック……んん、お出かけ、しませんか? お弁当とかお菓子とか、いっぱい持って!」

 両手を広げ、とても素敵な提案でしょう、という風にあかねは季史に向けて笑う。

 綺麗な花畑が良いかもしれない。はらりはらりと落ちてくる桜を見に行くのも良いかもしれない。

 市に降りてみるのも良いかもしれない。

「皆で行くのも楽しそう。詩紋くんって友達がいるんですけど、凄くお菓子作りが上手なんですよ。みんな凄く良い人たちばかりで――」

 楽しげに語るあかねを見守るように、季史は言葉を紡がない。

 其の様子とふと不安に思ったのか、あかねが窺うように季史の顔を覗き込んだ。

「……知らない人ばかりだから、嫌、ですか?」

 自分は皆を知っているから楽しい光景しか想像できないけれど、矢張りそれは季史にとって不安なのではないのだろうかと問い掛ける。

 季史は、そんなことは無いと首を横に振りかけ――途中で、止めた。

「最初は……そなたと二人が良い」

 何の戸惑いもなく静かに言葉を紡ぐ季史に、あかねは今日何度目になるのか、再び頬を染める。

「じゃ、じゃあ。約束ですよ。今度天気が良い時に一緒に出掛けましょう。……私だって少しくらいは京を案内できるんですよ」

 屈託無く「約束」と言い放つあかねに、季史はそうとは解らぬ程度に、微かに笑い、そうして、「約束」した。


「ああ……いつの日か、晴れた折には、そなたと共に――」


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