永泉さんが最初にそれを口にした時、私は少し驚いた。
――少しずつでも変わって行きたいのです。
少しだけはにかむような表情を見せながら付け足された言葉は、、紛れも無い本心からのものだったのだろう。
よく見てみると少しだけ指先が震えていて……勇気を振り絞ったことがうかがえた。
「天真くん!」
肩に木材を抱えた天真くんが私の呼び掛けに答えるように振り向いた。
声を掛けた私の他に永泉さんが居るのを見て、ああ、と生返事を洩らしその状態のまま立ち止まった。
「何だ、お前ら二人して」
何か用かと問い掛けてくる天真くんに、私は一度永泉さんの顔を見てから天真くんに向
き直った。
「天真くん、今日も内裏の修繕手伝ってるんだよね?」
見りゃわかるだろと言う風に呆れ顔をわざとらしく作り、頷いてみせる。
他にも修繕をしている人たちが大勢いて――天真くんもその中の誰かに手伝いを頼まれたとこの間言っていた。
私はそれを知っていて、天真くんに声をかけたのだ。
「永泉さん」
そっと促すように呼び掛けると、些か緊張した面持ちで永泉さんはきゅ、と唇を引き結
んだ後、言葉を紡いだ。
「あ、あの……私も、修繕のお手伝いをさせていただけないでしょうか……」
語尾は消え入りそうにはかなく、それでもしっかりとその意志を天真くんに伝えた。
言われた天真くんはと言えば、一瞬首を捻ったものの直ぐに合点がいったように頷いてみせる。
「この前はしねぇって言ってたのにどんな心境の変化だか。ま、俺に言っても仕方ねぇ、あそこにいるおっさんに言ってこいよ」
軽く顎で示した先には成る程、取り仕切っている感じのする男の人が一人。
何時までも天真くんに木材を抱えさせたままにしておくのも申し訳なくて、私達は天真くんにお礼を言うと、許可を得るために男の人の方へと向かった。
手伝いたいと言った時、永泉さんの姿を見て其れはできない、というような事をその人は口にした。
恐らくは顔を知っていたんだろう、何かあったら大変だから、としきりに繰り返す。
折角永泉さんが変わろうとしているのに。
そんな思いが私を意固地にさせ、食い下がろうとした所で永泉さんが躊躇いがちな声を出し、私を止めた。
「もう、止めましょう神子。……申し訳ありません。……私が手伝いをしてみたいと申した為にお手を煩わせてしまって」
諦めの良い台詞としか聞こえずに、如何してですか、と問い掛けようと振り向き――口を噤む。
きっと、此れ以上言っても此の男の人が困ってしまうだけ。
自分の意思とは関係のない領分で、……多分、此処は引き下がった方が、懸命。
「……ああ。いや、申し訳ねぇです。その御心は嬉しいんですが、ねえ」
殊勝な永泉さんの態度に、矢張り込み上げるのは罪悪感か。
悪い事はしておらず、正論の筈なのに、手伝いたいと願ってくれている言葉を断るのは居心地が悪いものなのだろう。
そこに善意しかなければ尚更。
「謝るのは此方の方です。……でも、せめて。……少しだけ、修繕している所を見て行っても宜しいでしょうか」
今迄だったらきっと、気落ちして此の場を離れて行っただろうに、永泉さんは控えめながらもそう続けた。
これが、変わっていきたいと言う証だろうか?
其れに対して男は拒否を唱えるわけもなく、晴れやかな笑顔で了承してくれたのだった。
「結局、手伝えなくって残念でしたね」
渡殿の一部を修繕しているのを見て回りながら、私は永泉さんにそう語りかけた。
「ええ。けれど、良いのです。伝えられた事が大事なのだと……最初は、其れからで良いのだと思えるようになったから……」
ゆったりと、けれど何処か満足そうに語る姿を見て、なんとも言い知れぬ安心感が漂う。
永泉さんは変わりましたよ。
そう伝えたくて、歩みを止める。柔らかい風が吹いていた。
「――ッ! 神子!」
けれども私が口を開くより先に、永泉さんが声を上げてから私の手首を掴み、ぐんと引っ張った。
状況が飲み込めぬままに永泉さんの方へと倒れ込み、其処で漸く後ろのほうから何かが崩れ落ちる音が聞こえる。
体勢を立て直し、ちらりと横目で見てみると立てかけてあった角材が僅かに吹いた風によってバランスを崩したのか、今迄私が立っていた所に崩れ落ちているのが目に入った。
――永泉さんが引っ張ってくれなかったらと思うと、ゾッとする。
「あ、有難う御座います、永泉さん」
感謝の気持ちを込めてお礼を言うけれど、永泉さんはそっと手を離し、俯いてしまった。
「いいえ。……神子が危険に晒されたのは私の咎です。私が、見て回りたいと言わなければ――。…………何方かに、角材が崩れた事を伝えて参ります。神子は此処でお待ち下さい」
「あっ、永泉さん!」
危ない目にあったのは永泉さんの所為じゃない。
呼び止める声にも振り向かず、永泉さんは人が居る方へと向かって行く。
引き止めようとして持ち上げた手首に、鈍い痛みが走った。
袖から覗く手首は、今先程、永泉さんに掴まれた場所。
「……紅くなってる」
咄嗟の出来事。
つい、強い力で掴んでしまったのだろう。
そっと紅くなった部分をもう片方の手で撫で上げるようにしながら、私は小さく呟いた。
「…………力、強いな。やっぱり永泉さん、って……男の人、なんだなぁ」
――その呟きは、サァ、と吹いた東方から吹いた風に攫われた。
【永泉TOP】
【遙かTOP】