「それは嘘です」

 真っ直ぐに発せられた言葉は、少なからずニクスを面食らわせたのだろう。

 時折強い意志を見せることはあれども、こうまで真っ向否定をするような少女ではなかった。

 人と言うものは予想外の事が起こると当惑し、瞬時に反応出来なくなるもの。

 だが、ニクスは重ねてきた年齢ゆえにすぐさま動揺などしていなかったような顔で緩く首を傾げてみせた。

「嘘ではありませんよ。今迄だって此の発作と共に生きてきました。……確かに苦しくはありますが、もう慣れて……」

「其の言葉が嘘だって、言っているんです。……ニクスさん、そんな嘘は、やさしさでも何でもありません」

 俯くように懸命にアンジェリークの唇から紡がれる言葉は、推定や推測から零れ落ちるものとは違っていた。

 其処にあるのは確固たる確信。

 最初からニクスの言葉が嘘であるのだと決め付けるような、見方によっては酷く傲慢な姿勢。

 だからこそニクスは軽く肩を竦め、呆れたような、仕方無さそうな態度を取ってみせた。

「アンジェリーク、おっしゃっている意味が解りかねます。あなたは私ではない。なのに、何故嘘であると言い切れるんですか?」

 幼子に言い聞かせるような口調は優しく、それでいて有無を言わさぬものだ。

 普通こういう言い方をされた場合、言い篭る場合が殆ど。

 故にニクスも其れを想定した上で言葉を紡ぎ、頭を巡らし次の展開を考える。

 だが、此処にひとつの誤算が生じる。

 アンジェリークは、“普通”の反応を返さなかった。

「苦しみに慣れることなんて、無いんです。其れが、心の痛みを伴うものであるのなら尚更。――“大丈夫”って言う人ほど、ほんとは全然大丈夫じゃないものです。……本当は、誰よりも助けが必要なんじゃないでしょうか……?」

 アンジェリークの言葉の締め括りは、問い掛けるような形に終わっていた。

 されどもニクスには其れが、「あなたには助けが必要なんです」と言っているように聞こえてならない。

 ――真実を知っているわけではないのに、鋭い所をついてくるのは女王の卵としての素質の成せる技なのかと思わずニクスは苦笑した。

 其れを如何いった意味に取ったのか、アンジェリークは表情を悲しげに歪める。

「……ニクスさんから見れば、私はただの小娘にしか過ぎなくて……頼りないかもしれません。ニクスさんの発作を治して差し上げることができないんですもの。でも、考えることは出来るわ。話を聞くことだって出来るわ。……少なくとも、一人で抱え込まずに済むわ……」

 まるでニクスの痛みに同調したがるかのような面持ちは、アンジェリークの優しさ故のものなのだろうか。

 此処まで真摯に向き合われるとは思ってもみなかったのだろう、ニクスはアンジェリークに掛ける言葉が出てこない。

「自分でも、差し出がましい事は解っています。……わかって、いるんです。でも、私はニクスさんのお役に立ちたい。心配をかけないように、だなんて、そんな理由で嘘を吐いて欲しくない。……心配をかけたくないという気持ちは、やさしさかもしれません。騙された方が幸せであるのかもしれません。でも、其れが嘘だと知っている場合は別。……それは、やさしさとは呼びません……」

 饒舌に自分の弁を述べた後、きゅ、と唇を引き結び俯いてしまったアンジェリークを見下ろすニクスの瞳には、ありありと動揺の色が浮かんでいた。

 漸くニクスは自分の失態を悟る。

 アンジェリークの言った事はその通りだった。

 苦しさに慣れる筈はない。

 真実の気持ちを言うならば、此の苦しみから解放されたいとすら願っている。

 其れが赦されざる事なのだとしても。

 其れが、到底に無理な話なのだとしても。

 ……いや

「……若しくは、あなたなら……」

 此の苦しみから、解放してくれるのかもしれない。

 ……そんな期待は馬鹿げたことだとニクスは自嘲気味に笑う。

 心細げなアンジェリークの視線に、ニクスは自嘲を次第に緩やかなものにと変えた。

「すみませんアンジェリーク。其れがやさしさのつもりでも、嘘と知られてしまった時点でそれはやさしさではなくなりますね。……結局、私は……」

「ニクスさん……?」

 徐々に苦しげな声を帯びてくるニクスに、アンジェリークは気遣わしげに声を掛ける。

 ――けれど、ニクスはもう、アンジェリークの方を見なかった。


「結局私の存在は、嘘の中でさえやさしくは在れないのでしょう――」




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