心のどこかで、本当は気付いていた。

 譲くんは私のこと、大切にしてくれているんだということ。

 私を、好きでいてくれているのだということ。

 知っていて、それに応えることはできない思っていた。

 だって、今の関係を壊したくなかったから。

 譲くんのことは好きだったけど、私は将臣くんも好きで。

 恋愛とか、そういうのじゃないから。

 其れは時空を越えた時も、此方の世界に戻って茶吉尼天を倒してからも、変わらない思い。

 ずっとこのままで。

 それが、今までも、これからも……私が望む唯一の願い。



「なーんか、未だに現実感沸かねぇんだよなー」

 机に足を乗せ、椅子の背凭れに体重を預けながら将臣くんが天井を仰ぎ、呟いた。

「将臣くんは本当に学校生活って久し振りだもんね」

 皆が元の世界に帰り、学校も新学期を迎えた。

 あちらの世界に飛ばされる前の姿に戻ったとはいえ、あちらで過ごした月日が消化されるものではない。

 だからこそ、違和感を感じてしまうのだろう。

 放課後の教室は、帰り支度をしている生徒が殆どだ。

 平和だな、と今では心の底から思う事が出来る。

 当たり前のことなのに、色んな体験をしてきたからか、それがとても凄いことに思えるのだ。

「……あ。あれ譲くんじゃない?」

 窓ガラスに手をつけて、下を見下ろすと見慣れた姿が歩いているのが見えた。

「ん? ああ、どうせ部活だろ」

 確かに見ていると校門には向かっておらず、学校の弓道場の方に移動している。

 その後姿を見て小さく溜息を吐いた。

「何か急がしそうだよね……。んん、此れが当たり前だったんだけど……」

「……あっちの世界じゃねぇんだ。アイツも、お前にばっか構ってられねぇよ」

 将臣くんの言葉は的を射ているのに、何故だかとても寂しく聞こえた。

 私を最優先して欲しい、とは思わないけれど、すこしくらいは構って欲しいと思って居るのも本音。

 窓ガラスを撫でるように、ツ、と指先を動かした。

 譲くんの姿が死角に入ろうとした時、不意に譲くんは立ち止まり、振り返った。

 如何したのかと首を捻ったが、その答えは直ぐに出ることになる。

 振り返った視線の先には、小柄な女生徒が立っていたのだ。

 遠目にも解る、譲くんが微笑んでいるのが。

 女生徒の顔は位置的に見えないが、何処かかわいらしい雰囲気のある人だった。

 やけに親しげに話しかけている姿は単なるクラスメートとかそういう感じでもない。

「……同じ部活の人かな……?」

「ん?」

 ぽつりと私が漏らした呟きに将臣くんは席を立ち、私の背後から外を見た。

「そうじゃねーの。確か隣のクラスの女子だろ? 見た事あるぜ」

 後姿だけでわかるんだ、と言いかけて、言葉は止まった。

 譲くんと視線がかち合った。

「――あっ」

 しかし、それは一瞬のこと。

 まるで厭なものを見るかのように譲くんはふいと視線を逸らした。

 振ろうとした手が、ぎこちなく宙を彷徨った。

 譲くんは隣の女生徒を促すように、此方に背を向けて再び歩き出す。

 彼のそばに寄り添うように立った女生徒は、一瞬動きを止め、此方を睨め付けるように一瞥した後譲くんと共に姿を消した。

「……」

 あんな風に睨みつけられる理由が思い浮かばず、複雑な気持ちになる。

「女の嫉妬はおっかねーな……」

 呆れたように言う将臣くんの言葉で、漸くその意図を掴むことができた。

 嗚呼、なんだ。

 あの人は譲くんのことが、好きなんだ。

 別に私の事を気にすることなんてないのに。

 私は単なる幼馴染なんだから。

 そう自身に言い聞かせようとしている自分に、何だか胸が苦しくなった。

「……望美?」

 様子が可笑しかったのか、小さく、将臣くんが呼びかけてくれる。

「あ、ごめん。そろそろ帰る?」

 誤魔化すように笑顔を作り、外から将臣くんの顔へと視線を移した。

「あー……いや、そのことなんだが、俺今日バイト変わってたの忘れてたんだわ。ンで此のまま直行しなきゃ間に合わねぇ」

 将臣くんのバイト先と家は逆方向で、一緒に帰ることは叶わない。

 気にしないでと軽く言って、私は教室で将臣くんと別れた。

「――帰りは一人、か……」

 新学期が始まって、一人で帰ることも無くなると思ったのに。

 ぽつんと取り残されてしまったことで、何だか酷く心細くなった。

 何だか直ぐに帰りたくはなくて、暫くの間教室でクラスメートと世間話に興じていた。

 けれど、その内一人二人と帰って行き始め、教室に一人取り残される前にと下足箱まで降りていった。

 靴を取り出し、履き替えている最中に、ふと先程の譲くんと女生徒の姿が思い浮かぶ。

「……譲くん、部活してるんだよね……」

 とんとん、と靴の爪先を鳴らし、一つの考えを頭に浮かべた。

「一寸、見に行ってみようかな……」

 ほんの些細な好奇心。

 そんなものに突き動かされ、私は弓道場へと向かった。




「……あ、やってる」

 弦を離し、矢が的に向かって飛ぶ。

 その動きは早いが、戦場で見ていた矢に比べると見極め易い。

「それはそう、だよね」

 競技としてしか使われることがないのだから。

 流石に弓道場の中に入り込む事はできないから外側からこっそりと眺めた。

「いた」

 其処には、弓を持っている譲くんと……先程の、女生徒。

 部活中であるからこそ真面目な顔をしているが、会話を交わす二人の姿は何処か楽しげだ。

「…………」

 其れを見ていると、何だかとても居た堪れない気分になって、直ぐに弓道場の傍から離れた。

 家に戻る途中の、三人で良く遊んだ公園。

 そのブランコに腰掛け、地面に視線を落とした。

 ――ずっと、譲くんは私を好きでいてくれると、そんな気がしていた。

 けれど、譲くんには譲くんの生活があり、こうやって女の子から想いも寄せられている。

 何時までも私を見る必要なんて、何処にもないんだ。

「……おかしいな。私、其れが、いやだなんて……」

 これじゃあまるで、嫉妬しているみたい。

 ずきんと胸が痛んだ気がして、そっと手を押し当ててみる。

「……私……」

 今まで目を背け続けて来た事実に、動揺を隠せずにいた。

 ……譲くんの一番が、私じゃないといやだという、我儘な感情。

 でも。

 今更好きといえない。

 言ってしまうのが怖い。

 随分な時間留まってしまっていたのか、もう周囲は暗くなっていた。

 帰らないと、と想うのに、身体が動いてくれない。

「……春日先輩?」

 躊躇いがちな声が掛かり、まさか、と思いながら視線を上げると、其処には譲くんがいた。

「如何したんですか制服のままこんな所で……家に戻ってないんですか?」

 気遣わしげな声で問い掛け、此方に近づいて来る。

 ブランコの鎖をぎゅっと握りしめ、私は譲くんを見上げた。

「ちょっと寄り道してただけだよ。譲くんは、部活、お疲れさま」

 何でもないことのように嘘がつける自分に驚いた。

 譲くんはそれに対して曖昧に笑ってみせながら、もう遅いので帰りましょうと私を促す。

 その言葉に、今まで動かなかった体が嘘のように持ち上がり、しゃんと背筋を伸ばして立つことが出来た。

「最近は物騒ですし、夜にあまり一人で出歩かないで下さいね」

 口うるさいともとれる言葉も、私を心配してくれているとちゃんと解っているから、素直に聞き入ることができる。

 それに解った、と返事を返しながら、二人で夜の道を辿り、家へと歩いた。

「譲くん……」

「はい?」

 突然の私の呼びかけに、譲くんは僅かに首を傾げるように続きを促した。

「……今度、弓道の練習見せてね?」

 私の願いに譲くんは微かに困ったような顔をしてみせながらも小さく頷いた。

 今は未だ、好きだとは言えなくて。

 この先も言えるかどうかもわからない。

 でも、少しずつでも近づいていきたいから。

 少しずつでも、この関係を作り変えて行きたいと想うから。

 その為の第一歩。

 ――この願いが、今の私の精一杯。



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