人間は考える葦である。
そう、何かで読んだ記憶があった。
「嗚呼、其れはきっとパスカルですね」
私が自分の想いを自覚して、現代に戻って来た時には譲くんは私に最も近い男の子になっていた。
そんな、年下の筈なのに、大抵は模範解答を返してくれる賢い彼の言葉を聞いて、私は首を傾る。
「パスカル?」
ヘクトパスカル、と真っ先に浮かんでしまうのも仕方無い事だと思う。
そんな私の様子に気付いたのか、譲くんは少しばかり困ったように笑って見せて、「学者ですよ」と説明してくれた。
「フランスの哲学、数学、物理学者だったと思いますよ。ええと、確か……」
一気にお勉強の時間になってしまい、私は自分の発言を悔いた。
其れでも譲くんが態々私の為に調べてくれている事なのだから、大人しく待つ。
「嗚呼、在った、此れです。『無限な宇宙に比すれば、人間は葦の如く弱いが、それを知っている人間は“考える葦”として“知らない宇宙”よりも偉大であり、更に全てを知っていることよりも一つの小さな愛の業の方がなお偉大である』、と、物体・精神・愛という秩序の三段階を説いた人ですね」
恐らく、解りやすく説明されたのだろうけれど、正直其のパスカルという人の言い回しが回りくど過ぎて解らなかった。
「うぅん……? 詰まり、自分の弱さを知ってる方が凄いし、愛とか、そういった事した方が素晴らしいってこと?」
秩序の三段階、というのの解釈には至らなかったけれど、恐らくそう言ったことなのだろうと予測をして問いかける。
この見解は然程間違っては居なかったようで、譲くんは「そうですね」と言って頷いてくれた。
しかし、極々自然に愛を説いている学者が居るとはある意味感心である。
「愛かあ……」
ぽつん、と呟いた言葉に、譲くんが少しだけ戸惑っている顔をしているのが見えた。
多分どんな反応をして良いのか解らずに居るのだろうと想うと、少しだけ悪戯心が湧いて来る。
「譲くんは私の事愛してる?」
弧を描くように薄く笑った唇で問いかけると、案の定譲くんは明らかに動揺して見せた。
「せ、先輩っ。何を言い出すんですか……!」
恐らく私達くらいの年代で、躊躇いもせずに愛してるとか言える人は居ないと思う。
……其れは、現代の風潮から言えば尚更、逆に愛しているよとか言ってしまうと軽薄に感じたりもするのだ。
「ごめんごめん! ……あ。……でも」
不意に気に掛かったことがあり、私は唇に手を添えるようにして首を捻った。
「……何、ですか?」
どんな言葉が飛び出すのか怯えているような彼を軽く笑って見せて、じ、と見詰めてみる。
「譲くんって、何時から私の事好きだったのか知りたいなあ、って」
そう言って上目遣いに見ると、譲くんの頬は見る見る染まり、視線を逸らして小さな声で「知りません」と呟いた。
「そんなあ、教えてよー。気になって夜も眠れなくなっちゃう!」
譲くんの服の裾を掴むようにして懇願しても、彼は中々首を縦に振らない。
其れ所か。
「先輩なら寝れますよ」
だなんてあっさりと言い放たれてしまう始末。
しかも其れが強ち否定出来なくて、言葉に詰まってしまう。
「……知りたいよ」
女の子だから、っていうのは、少し言い訳じみているかもしれないけど。
好きな男の子が自分を如何想って居るかとか、何時から好きなのかとか、とても気になること。
しょんぼりと項垂れてしまった私を見て、譲くんが少し困った顔をしているのがわかる。
そうして、視線を逸らしたまま、口火を切るようにして話し出した。
「――先輩が、小学校に上がった頃ですよ」
通う場所が離れてしまい、其れ迄も抱えていた漠然とした想いを自覚したのがその時だった、と。
そう彼は語った。
「……え。だって、それって」
随分と、昔のことで。
そんな頃からずっと好きでいてくれたのかと正直、驚きを隠せずに居た。
「……可笑しいでしょう? ずっと、……ずっと、好きだったんです」
まるで罪を告白するような口振りで、自分の無神経な行動が随分と彼を傷つけてしまっていた事が知れる。
なのに、不謹慎にも私は喜んでいたのだ。
そんな風に迄想われていて、幸せだと想ったのだ。
「――可笑しくなんか、無いよ」
逸らされたままの彼と視線を合わせるように回り込み、私は微笑んでみせた。
驚いたような譲くんの顔を、両の手で包み込む。
愛しいと思った。
彼の深い愛情が嬉しいと思った。
幼い日の彼にも、好きだよと伝われば良いのに。
そういった想いを込めて、私は彼の唇に、押し付けるように己の唇を重ねた。
――彼の唇は、とても柔らかかった……。
【譲TOP】
【遙かTOP】
花言葉は、神の信頼・音楽・いんぎん・不謹慎・深い愛情・従順です。
イメージ的に不謹慎と、深い愛情、従順辺りをイメージ。