浴衣の裾が足に絡みつき上手く走れない。

 思えば、あちらの世界ではスカートの丈は短く邪魔になる事は無かったのだった。

 裾を思いっきり捲りあげて走る速度を上げたいと思うほどに、望美は焦っていた。

 予想以上に上手く走れなかった事で、ムキになって追いかけて来ている男達に追いつかれる可能性がある。

 否、既に望美を探す声が微かに耳に届いて居た。こうなれば見つかるのも時間の問題だろう。

 咄嗟に花火大会の場所とは逆方向に走ってしまった自分の迂闊さが厭わしい。

 既に皆会場入りしているのだろう、逃げ込んだ公園には人気がまるで無かった。

 草履が指の股を擦り、ひりひりする。きっと皮が捲れてしまっているのだろうと顔を顰めた時、正面に一人の男が現れた。

「そんなに急いで何処行くんだぁ? お嬢ちゃん」

 ぎく、と身を強張らせ、望美は立ち竦む。

 先に立っていたのは、あの、望美が突き飛ばした男だった。

「驚かなくったっていいだろ。オレは地元民だぜ? 逃げた場所がわかってりゃ、先回りすることなんてワケねぇさ」

 じり、と一歩後ずさった所で、背後から誰かに羽交い締めにされる。

 息は荒く、太い腕はじっとりと汗ばんでいて、不快だった。

 逃れようとするのに、力だけはあるのか一向に其の手は外れてくれない。

「梃子摺らせやがって。……丁度良い、人も見当たらねぇし、其処の茂みにでも連れ込もうぜ」

「冗談じゃッ……」

 ない、と。

 そう言おうとして望美は口を塞がれ、茂みの奥に体を引き摺られて行く。

 僅かに開けた場所に体を放り投げられ、望美は手をついて衝撃を和らげた。

 外からは死角になっていたのか、周囲はやけに暗い。

 草の上に手をついたまま男達を睨みつけると、揶揄るような言葉や嘲笑が頭上から降ってくる。

「おっかねー顔してんなよ。直ぐ気持ち良くさせてやるぜ。……あんまりヨ過ぎて意識飛ぶかもしんねぇがな」

「やッ……!」

 リーダー格なのか、其れとも先程味和された屈辱を晴らすためか――、真っ先に、待ち伏せした男が圧し掛かってくる。

 他の男達は、「程々にして回してくれよな」と笑い乍見ているだけ。

 汗ばんだ男の手が、望美の胸を弄る。

 気持ちが悪い。

 幾度と無く将臣と体を重ねてきたけれど、最初の時でさえこんな感覚に陥ったことはなかった。

 全身に鳥肌が立ち、まるで細胞のひとつひとつが男を拒絶しているかのようだ。

 ねっとりとした舌が顎に掛かり、手が、浴衣の裾に滑り込み、太腿に触れた――。

「ギャッ!!」

 鈍い音がし、離れた場所に居た男が悲鳴を上げたかと思うと、連続して3発、打音が鳴り響いた。

 其れに弾かれたように圧し掛かっていた男が顔を上げようとする。

 しかし其の横ッ面に、鋭い蹴りが入った。

 男は声を上げることも儘ならずに横に吹っ飛び、望美の上に圧し掛かる者は居なくなった。

 不意に視界を遮るものが無くなり、良く状況が掴めない乍も、助かったことだけは解り、男に蹴りを入れた人物に視線を移した。

「……まさおみ、くん……」

 望美が見たのは紛れも無い、唯一の人の姿。

 後ろには転々と男達が伸されていて、圧倒的な強さを見せ付けていた。

 ――無理も無い。姿は戻ったにしても、あちらの世界での知識や其れに準ずる身体の動きが将臣にはあるのだ。現代の一般人など相手になりようもなかった。

「汚ねぇ手でソイツに触るんじゃねぇ」

 怒気を孕んだ声すら、通常であるならば皆聞いただけで逃げ出すようなそんな声だった。

 しかし、蹴られた男は顔を鼻血で血まみれにし、既に逆上していて、「畜生!」と叫びながら将臣に殴りかかろうとする。

 其れに対する将臣の反応は冷静で、酷なものだった。

 伸びて来た男の握りこぶし、その中指の基節骨を目掛け、正拳の握りから中指の1指を飛び出させ、第二関節部――中高一本拳を一発繰り出した。

「ぎゃあああああああ!」

 男が、右手を掴んで蹲る。

 男の力任せの攻撃と、将臣の的確な攻撃により、相乗効果で若しかしたら男の指は折れてしまったのかもしれない。

 しかし将臣はそんな事を少しも気にする風でなく、冷たく言い放った。

「直ぐに立ち去れば此れで許してやる。そうでなかったら、立てなくなる事くらいは覚悟するんだな」

 今回の台詞は、流石に効いたらしく、他の仲間達も男を引き摺るようにして転がるように去って行った。

 其の姿が完全に見えなくなった頃、上体を起こしただけの望美に将臣が、何気ない様子を装って声を出した。

「お前のダチが電話かけて来たんだよ。……お前、電話拒否ってんじゃねぇよ。ま、それは兎も角として無事か? 怪我とか、ねぇか?」

 如何して此処に来たのか、その理由が解り望美は些か安堵した。よくよく見てみると将臣は汗を掻いており、息は乱れていないながらも駆け回っていた事を容易に想像させた。

 其れを見ると望美は胸が一杯になり、申し訳ない気持ちと、感謝の気持ち、情けない気持ちが湧き上がってくる。

 そうして、もうひとつ。

 望美の胸に灯ったものがある。

「無事じゃない……」

 ぽつりと洩らされた其の言葉に焦ったのは将臣で、間に合ったと思ったのにそうでは無かったのかと動揺の色を隠せずにいる。

「あんなヤツに触られて、まだヤな感触が胸にも足にも残ってる。……こんなの、全然大丈夫って言わない。だから、……だから、ねぇ、将臣くん」

 ぎゅ、と、乱れてしまった浴衣の合わせを掻き抱くように自分の身を抱き締める。
将臣は、草の上に片膝を着き、静かに、その白い頬を撫で上げた。

 それに釣られるように、は真直ぐに将臣を見つめ、望美の桜色の唇から、擦れた声が紡ぎ出される――。


「この厭な感触、全部忘れさせてよ……」

【後編】



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【遙かTOP】