ごほごほと、咳き込む音が静かな山の中に響く。

 絶えず咳き込んでいる少女の背を、白く小さな手が擦っていた。

「望美、大丈夫?」

 掛けられた言葉に直ぐに返事を返そうとするのだけれど、喉がいがいがして上手く言葉が紡げない。

 幾度目かの咳払いの後、涙目になりながらも笑ってみせた。

「大丈夫。ごめんね、心配かけちゃって……」

「――でも。……やっぱり、もう一日出発を遅らせた方が良かったんじゃないのかしら…」

 別の土地へと移動する旅の途中、二手に別れたのは数日前の事だった。

 こんなに大人数で移動するのは目立ち過ぎると言う意見が出て、別々のルートから同じ場所を目指している。

 本来ならば、もう既に待ち合わせている場所に付いている筈、なのだ。

「ただでさえ私の所為で遅れてるんだもの。これ以上、迷惑かけられないよ」

 しかし、二手に分かれて直ぐに私が高熱を出し、倒れてしまった。

 今此処に居るのは、先生、景時さん、朔、白龍、そして、私。

 私と朔が一緒に居るのは、此方のルートの方が安全で、道も優しいものだったから。

 その優しい道を進んでいるのに、随分と到着が遅れている事で、他の皆も随分と心配している事だと思うから。

「オレとしても、悪化しないように休んで貰いたいんだけどね〜」

 少し困ったように景時さんが言葉を紡ぐ。

 白龍も、如何したら良いのか分からぬような困惑顔をしている。

 私が無理する事で皆に負担が掛かる事が解っているけれど、気持ちは如何しようもなく焦ってしまうのだ。

 無言で首を横に振る私に、朔が哀しげな表情を作りきゅ、と私の着物を掴んだ。

「なら、せめて少し休んで行きましょう。とても辛そうなんだもの」

荒い息を吐き出している私を気遣い、懇願するように言われてしまっては頷く事しか出来ずに、どさりと半ば崩れ落ちるように座り込んだ。

「……それにしても、先生戻ってこないね」

額に手を翳すようにしてぐるりと周囲を見渡してみる景時さんの姿が視界に入り込んだが、直ぐに咳が込み上げて来て激しく咽てしまい、視界が涙が歪んだ。

「――神子」

ひとつ、気配が増える。

「先生」

「此れを飲みなさい」

差し出された器を手に取って中身を覗いてみると、ゼリー状の液体が入っている。

「何、ですか……?」

「車前子を水に溶かしたものだ。咳止めになる」

 車前子、聞き慣れぬ単語に首を捻り掛けた時、白龍が口を開いた。

「オオバコの種子を煎じたもののことだね」

 その答えに、先生は頷いて肯定してみせた。

「甘草を混ぜて煎じたので多少は飲み易い筈だが」

 態々用意をしてくれたのだと思うと嬉しくて、胸がジンとなった。

「ありがとうございます……ッ」

 器に口を付け、喉に通して行く。

 粘液質が多いのか喉に絡み付くような感覚だ。

 器の中の液体を飲み干すと、今度はただの水を飲むように言った。

 本来ならば一日に二、三度ほど服用するものなのだと言う。

「リズ先生は何でも知ってて凄いねえ」

 景時さんが感心したような声を上げ、私も其れに同意を示すように頷いてみせた。

「何だか此れならもう大丈夫そうですよ」

 立ち上がろうとした瞬間、ふわりと身体が浮く感覚がした。

「え……?」

 目線が高くなり、宙に浮いている事を自覚した。

 ――先生が、私を抱きかかえているのだ。

「せ、先生私自分の足で歩けますから、降ろしてください……!」

「無理をするのは良くない。時には他人を頼る事も大切なのだと覚えておきなさい」

 窘められるように言われた言葉は間違ってはいない。

 けれども、そういう問題ではないのだ。

 この状態は何だかとても気恥ずかしく、顔を上げる事さえも出来なくなる。

「そうね、ふらふらして怪我でもされたら大変だもの。望美、そのまま先生に運んでもらうと良いわ」

 私の動揺を知って居る筈なのに、朔はそう言うと楽しげにくすくす笑っていた。

 白龍は白龍で「神子の身が一番大事だよ」と言うし、景時さんに至ってもそっちの方が楽そうだよね、と笑っているだけだ。

「………じゃあ、お願いします……」

 結局、私の口から零れたのはそんな台詞だった。

 其れを了承するかのように頷いた先生の目は、俯いたままの私には見えなかったが、とても優しいものだったと言う。

 ――私は時折、あの時抱えて貰った腕の温もりを思い出しては胸をときめかせている。


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【遙かTOP】




神子は先生相手になると本当に乙女になる場合があると思います。
矢張り先生が強いからですかね。