先生が私達の世界に――私の傍に居てくれるようになって、遂に巡って来た先生の誕生日。
誕生日プレゼントとして用意したのは手作りクッキー。
本当ならもう少し凝ったものを作りたかったけれど、今の私の技術では無理で。
来年はケーキとか作りたいなあ、と思っていたんだけど今回のクッキーも少し焦げ気味だったから少し怪しいかもしれない。
でもこういうのは祝う気持ちが一番大事だと思うから。
さぁ、大好きな人の誕生日を祝いに行こう!
「先生、今日何の日か覚えてますか?」
後ろ手にクッキーを隠し、ソファに座り新聞を読んでいた先生に話し掛けた。
すっかり此方の世界に馴染んでいるような先生を隣に座って見れるのは、少し嬉しい。
漸く緩やかに時間が流れるという幸せを享受してくれているようだから。
「今日が何の日か?」
新聞を畳みながら質問を確認されて、私はひとつ頷く事で肯定してみせる。
先生は何でも知っているような節があるから、私が何を言いたいかなんてきっとお見通しだと思って、微笑んでくれるのを待つ。
けれども先生は表情ひとつ変える事無く、予想外の返答をしてきたのである。
「明治天皇が即位した日か」
……何時の間に現代の歴史面の知識まで身につけていたと言うのか。
そっか、今日ってそう言う日だったんだ。と思わず納得しかけてしまった自分に首を振り、気を取り直した。
「そういうのじゃないんです!」
「違うとすると他には――」
「先生のお誕生日じゃないですか!」
明らかに流れが逸れつつある。
其れを危惧して先生が何かを言う前に慌てて遮り、綺麗にラッピングしたクッキーを先生の目前に差し出した。
「誕生日プレゼントのクッキーです。もう、先生自分の誕生日くらい覚えてて下さいよー」
全く以って思い出す素振りを見せない先生に私は笑ってそう言った。
先生はクッキーの包みを差し出されるままにお礼を言いつつ受け取りながら漸く納得が行った、と言うような顔をしてみせる。
「神子」
包みに視線を落としながら、少しの間を置いて先生は私に呼び掛ける。
「はい、何ですか先生」
「祝う気持ちは無論嬉しい――が、残念ながら暦が違う」
――其の言葉に、凍りつく思いがした。
先生の誕生日を聞いたのは、確かにあちらの世界でのこと。
誕生日当日に祝う風習が此方の世界にはあるのだと、先生は知った。
だから変に安心していたのだ。
いきなり先生の誕生日を祝っても大丈夫だ、って。
でも、あの世界は太陰暦――現在は太陽暦。
確かに其処に当然ズレが生じる。
すっかり固まってしまった私を見て、先生は徐に口を開いた。
「どちらにせよ此の世界に生きると決めた身、生誕の日が今日となったとて余り変わりはしない」
でも、……と私は思う。
やっぱり其処に違和感が生まれてしまうものなんじゃないのだろうか。
自然肩が落ちてしまっていたのか、そんな私を気遣ってくれるように先生がそっと私の髪を撫で、優しく引き寄せてくれる。
「お前が覚えていて、祝ってくれた事が何よりも嬉しい」
そう優しい声で囁かれた事が嬉しい、なんて。
先生を喜ばせるつもりが私が喜んで如何するの。
でも、そんな事を気にしているのも馬鹿馬鹿しくなって、先生に凭れ掛かりながら私はゆっくりを息を吐く。
「……ね、先生。クッキー食べてみてください」
勧めれば少し間を置いて、先生は緩やかな手付きでクッキーの包みを開いた。
其処には一寸大きく作り過ぎてしまったクッキーがある。
……円形じゃなくって、球体って言った方がしっくり来そうなのがちょっぴり哀しい。
一寸焦がしてしまって周りが黒くなってしまっているけれど、其れもまたご愛嬌と言った所だろう。
「神子。これはクッキーと言ったか?」
「そうです。あ、周りの黒いの、ココアパウダーとかじゃなくって焦げちゃったんです。でもおっきく作ったから真ん中辺りは焦げてないと思うんですよ!」
間髪いれず自分の作品のフォローを入れると、先生はそうか。と納得したように頷いてくれる。
そして、これまたゆっくりとクッキーを口へと運んだ。
「如何ですか? 美味しいですか?」
「……嗚呼。多少粉っぽいが、非常に甘く、外は歯応えがあるのに中は柔らかい」
そう言って先生は微笑んでくれる。其の表情が少しだけ歪んでいるように見えたはきっと気の所為だったのだろう。
うん。だって先生は頷いてくれたんだもの。
味見をしてくれた将臣くんが「周りは炭の味しかしねぇし中身は生じゃねぇか。寧ろ砂糖の塊だろ」と言ったのはきっと将臣くんの味覚が可笑しかったからなんだもの。
手作りクッキーを食べてくれている先生を見ながら、私はにっこりと微笑んだのだった――。
【リズTOP】
【遙かTOP】
ロシア語でI love you.に相当する単語を訳したのは二葉亭四迷だったように記憶しています曖昧ですけど!(こっそり