「今日は洗濯日和だよね〜」
「そうですねー……」
鳥の鳴き声が聞こえる長閑な午前中。
今が戦乱の世であることを忘れてしまいそうな程の平穏さ。
縁側に二人で腰掛けて、二人で干した真っ白い洗濯物を、何をするわけでもなく眺めていた。
まだ、干している途中であるのに、一旦休憩と称して座ってしまうと何だか立てずにいたのだった。
それでも、何時までも座っていたら終わらないのは当たり前。
立ちたがらない身体を無理矢理持ち上げ、ぐ、と大きく伸びをする。
「さ、後もう少しだ。ごめんね、手伝わせちゃって」
でも助かったよ。嬉しそうに笑う姿を見るのが、何だか少し幸せ。
「いいんですよ。何だか楽しいですし」
洗濯物を干すのも。
こうやって二人で居るのも。
芽生えたばかりの思いだけど、着実に心に根を張っていっているのが解るから。
洗濯物を落としてしまわないように気をつけながら、二人で協力して干して行く。
二人でやると、矢張りその分手際が良くなるのか、程なくすると、洗濯物は全てなくなってしまった。
「ふー。終わったねー。爽快爽快」
今日は結構な量があったらしく、こうやって手を止めて眺めてみると中々に壮観だ。
お疲れ様です。と声を掛けると、景時さんが「君もね」と笑って返してくれる。
その時、景時さんが此方を振り向き、驚いたように目を見開いた。
「望美ちゃん、怪我してるんじゃないの?!足…!」
怪我なんてしてなかった筈なのに、と視線を自分の足に向け、ぎょっとした。
太腿から流れ落ちるような血、此れは、間違いない。
此方の世界に来てから長らく止まっていたもの――月経だ。
「ごめん知らなかったとは言え怪我してる君に手伝わせるなんて……ちょっと見せて」
「あの、大丈夫ですから……!」
見せるだなんて冗談ではなくて、思考がぐちゃぐちゃになりながらも必死に断りの台詞を吐く。
それでも、私が怪我をしているのだと信じて疑っていない景時さんは尚引き下がらない。
「大丈夫じゃないでしょ。化膿したら如何するの」
心配そうにしてくれているのは解る。
解る、けど――。
気付いた時には、肩にかかった手を思い切り振り払ってしまっていた。
「……ご、ごめんなさいっ!」
事情を説明することも出来ずに、くるりと踵を返し景時さんの前から走り去った。
暫くの後、払われた手を遣る瀬無く宙に浮かせ、取り残されてしまっていた彼の肩をぽんと叩くものが現れた。
「………あ、将臣君……?」
「何やってんだこんな所で変なポーズして」
ポーズ、の言葉に首を捻りながらも、今起きた出来事について大方の説明をした。
話を聞いて、何を悟ったのか、放たれた言葉はただ一言。
「デリカシーねぇなぁ。歳幾つだよ。流石の俺でもそこ等辺は察してやれるぜ……」
それだけ言うと、あんまり触れないようにしとけよと付け足しその場を去っていった。
一体何のことを言っているのか瞬時、理解はできなかったが頭が冷えて冷静になってくるとふと思いあたることがひとつ。
「え、えっ?ま、まさか…」
思い当たった事に、かぁ、と顔が熱くなり思わず両手で顔を押さえしゃがみ込んだ。
「うっわ、オレ何やってんだー……」
自己嫌悪の渦に陥りつつ、再びその場でぐるぐると思い悩んでいるのだった――。
バタバタと廊下を走る音がして、何事かと朔は顔を上げた。
其れと同時に開かれる部屋の扉。
駆け込んで来た少女の姿に驚いたように瞬きをしていた。
「朔! 助けて!!」
「……望美?」
縋りつくように泣きついてきた対なる少女に、朔はただ、驚く事しか出来なかった。
「月の物だったのね、いきなり泣きついてくるから驚いたわ」
血で汚れてしまった為に召し物を換え、居た堪れない気持ちで正座をしていた。
「ごめんね。頼れるの朔しかいなくて……」
「良いのよ。月帯は気持ち悪くないかしら?」
用意してくれたものは、現代に慣れすぎた身にとっては矢張り多少の違和感は拭えなかったけれど、其れでも随分と安心する。
「うん。あの……暫く止まってたから……、動揺しちゃって」
言い訳じみた台詞も、虚しく響いた。
今まで月経が訪れなかった方が不思議なのだ。
其れ程までに戦というもののストレスは大きかったのだろうと溜息が出そうになった。
――でも、今もまだ、戦は続いていると言うのに。
如何して今になって?
そう思いながらも、実際には判って居る。
この身体が、戦に身を置く事よりも、女でありたいと訴えかけているのだ。
「……情けないなあ……」
ぽつりともれた言葉に朔が緩く首を傾げてみせた。
「情けなくなんか無いわ。月の物が来るのは仕方無い事だもの」
そうじゃないのだと反論し掛けて、止めた。
口許に苦々しい笑みが浮かぶのを堪えるので精一杯。
恋に溺れかけて、戦のことを疎かにしているわけではないけれど。
気の緩みには変わりないのだから……。
「少し席を外すけれど、ゆっくり休んでいてね?」
朔の気遣いに感謝の意を込めながら頷き、部屋の中で一人、膝を抱えた。
「……おなかいた……」
時期的に仕方が無い事とはいえ、気持ちが沈む。
ネガティヴになりがちな思考を出来るだけ振り払おうと首を横に振ってみても、思い浮かぶのはもやもやすることばかり。
「景時さん、怒ってるかな……」
何も言わずに逃げ出して来てしまったのだから、怒っていても無理は無い。
そう思うと、次に顔を会わせ辛くなる。
どうしよう、とそう呟いたところで、部屋の戸が開く音がした。
朔が戻ってきたのだろうかと顔を上げると、其処には、今思い描いていた人……景時さんが顔を覗かせていたのだ。
「……あー……っと、望美ちゃん、さっきはほんと、ごめんね」
どこか気まずそうに話すのは、つまり、バレてしまったのだとそう云う事で。
穴があったら入りたいとか、居ても立ってもいられないとか、そういうのはこんな気分のことを言うのではないか。
「こっちこそ、すみません……なんか、お恥ずかしいとこ見せちゃって……」
つい、ぼそぼそとした声になってしまうのは仕方が無い事だと思う。
そんな私に、景時さんは困ったような顔をしていた。
「は〜……オレって駄目だよね。もう一寸こう、何気なく流せると良かったんだけど」
心底自分を責めているように紡がれる台詞は、少しだけ私の心を和らげた。
先程までずきずき痛んでいたお腹も、不思議と今は其れ程痛くない。
嗚呼。私は矢張りこの人が好きなんだなぁとしみじみ思った。
恋の為だけに生きたいわけじゃない。
この人が笑って生きられる世界を作って行きたい。
私は、抱えていた膝を解放し、立ち上がっていた。
「……もう、夕方ですよね。景時さん洗濯物戻しに行きましょう?」
戦のことは何時も念頭に置いてあるけれど。
今のこの時くらいは、貴方と居る時間を大切にしたい。
未だ落ち込んだ顔の景時さんの腕を引いて、洗い立ての洗濯物を取りこみに庭へと出た。
穏かな時間である事を示すように……、二人で干した洗濯物が心地良さそうに風に煽られはたはたと揺れていた――。
【景時TOP】
【遙かTOP】