「お前が好きだよ」

 日増しにお前への気持ちが強まり、もう気持ちを飾る言葉すら思いつかない。

 どんな言葉でも表現できない程の想い。

 気持ちを告げなければ、何時しかこの想いはお前を焦がす程の炎になってしまうだろうから。

 何の装飾もつけずに真っ直ぐに想いを打ち明けた。

 だから、お前がはにかむように、「私も」と言ってくれた時は、本当に……本当に嬉しかった……。


 雪に咲く華




「この辺りでは春先に紅雪が降ることもあるんだってさ。その時此処に来て、運が良ければ見れるかもね」

「紅雪……?」

 きょとんとしている表情が愛らしくて、望美の柔らかい頬にそっと唇を押しあてた。

 オレの名前を呼び、顔を真赤にして怒ってみせる姿が愛おしかった。

「怒った顔もまた魅力的だね。……紅雪ってのは、その名の通り紅い雪が降るらしいよ」

 何故そんな雪が降るかは解らないけどね。と付け加えるように言っても、望美は感心したように瞳を輝かせていた。

「何時か、二人で見たいね」

 姫君が笑って言って、オレが頷く。

 二人で真っ白い雪を踏み締め歩いていた。

 想いを通じ合わせてから其れ程経たぬ内に、オレ達の仲は直ぐに周知の事実となった。

 だから、だろうか。

 何時の間にか、極々自然に二人で過ごす時間が増えて行った。

 二人で居られる幸せを思い起こすと自然、顔が綻んでくる。

 嗚呼、オレは今満たされている、と。

 こんなに満たされた想いは初めてで、自分でも少し戸惑ってしまう。

 愛を囁きながら唇を重ね、睦言を紡ぎながら清らなるその身体をこの腕に抱く。

 幸せ過ぎて、如何にかなってしまいそうな程。

 手を伸ばせば届く距離に居て、声を掛ければ微笑んでくれる位置にいて。

 掴んだ手を絶対に離すことは無いと思っていた。

 ――そう、信じていた。


 ……将臣が還内府だと知った時、姫君は、意外な程に静かだった。

 嘆き、悲しむのか、若しくは決意を漲らせ、戦う事を選ぶのかと思って居た。

 だが、望美は「そうだったんだ」と淡々とした表情で語っただけだった。

 いや……意外と言うよりも、少し寂しかったのかもしれない。

 オレにだけは、本心を打ち明けて欲しかったのだと思う――。

 なあ、姫君。

 本当のお前は、アイツが好きだったんじゃ、なかったのか……?



 剣と剣とが響きあう戦場に、雪だけが静かに降っていた。

 噎せ返るような血の臭いと雪と泥とが交じり、ぬかるんだ地面に構う暇もない。

 戦場という事だけではなく、オレの心は焦っていた。

 将臣が還内府だと知ったあの日から、少しずつ望美の様子は可笑しくなっていっていたから。

「……ッ、何処に居るんだよ……!」

 そこ等中で源氏と平家の兵が切り合っている。

 現在では源氏兵が押しているものの、平家の兵の中には怨霊も混じっており決着は未だつかない。

 所々で源氏の神子を呼ぶ声が飛び交う。

 本来ならば、望美は此処で怨霊を封じている筈なのに。

 軍勢が入り乱れる中、突如として姿を消したのだ。

 襲い掛かってくる怨霊の剣を弾き返し乍、唇から血が滲むほどに歯を食い縛った。

「――還内府のトコに行ったのか……?」

 ……それは、一番考えたくなかった場所。

 そして、一番可能性のある場所。

 オレ達の目を掻い潜ってまで向かう先は、きっと、もう、其処しかない……。

「ヒノエっ!」

 誰かがオレを呼ぶ声がする。

 嗚呼、でもそれは姫君じゃない。…望美じゃ、ないんだ。

「ヒノエくん!其れ以上一人で突き進んだら危ない……! 平家の軍は、既に撤退を始めるんだよ!」

 続いたその声は、景時だった、のだろうか。

 周囲を見渡すと、確かに、平家の軍は既に怨霊に入れ替わっていた。

 既に、帝や神器を乗せた御座船は出港したと言う。

 頭に冷水をぶっかけられたように……頭から、血の気が引いた。

「……還、内府は……」

「――確認は取れていません」

 呆然と立ち竦むオレに、弁慶が歩み寄って来る。

 厳しい表情は、其れ以上に、言うべき言葉があるのだと語っている。

「そして、望美さんも、何処に居るのか解っていません」

「神子は生きているよ。私にはわかる」

 龍神だから言い切れる言葉は、この状況ではオレを更に追い詰める。

「はは……ッ、何だ、よ……それ……」

 一つの仮定が頭を占める。

 例えば、例えば。

 若し今此処に望美が居ないのは、将臣について行ったからじゃ、ないのか?

 あの姫君は慈悲深いから、将臣の話を聞き、帝なんかに同情することもあるのかもしれない。

 勝ち戦が目に見えている源氏よりも、死ぬかもしれない彼らを助けたかった、と。

 ……違う。それは、オレがそう思いたいだけだ。

 オレは、望美が、オレよりも将臣を選んだのではないかと……疑っている。

 疑心暗鬼。

「……これ以上此処に留まっていても仕方がない、怨霊を退け、一旦――ヒノエ?!」

 平静を失ったオレを見る目が、耐えられなかった。

 息詰まる胸を押さえ、誰も居ない方へと駆け出す。

 本気で走るオレに、追い付けるヤツは居なかった。

 幼い頃はそれが自慢であったのに、今日は何故だか、哀しさだけが先に立つ。

 どれ程駆けた頃だろうか、乱れた息を整えるように呼吸を繰り返す。

 この辺りまで来ると、世界は銀世界のままで存在している。

 陽が暮れ始め、白い世界を紅く染めて行っているのだ。

 ――まるで、何時か二人で見ようと言った紅雪のように。

 今隣にその人の姿は無く、広い世界にただ一人、取り残されてしまった。

 嗚呼、本当にもう、居ないのだろうか。

 そう、深い絶望に飲まれかけていた時だった。

 僅かに鼻に付く血臭。

 其れはまだ新しいモノだった。

 何故だか厭な予感がして、地面を見てみると僅かに人の歩いた形跡が見られる。

 この大きさは、成人男性のものではない。

「望美……ッ?!」

 まさか、と思いながらも気付けば足は其方へと向かっていた。

 小さな影が、冷たい筈の雪の上に座り込んでいる。

 それは、確かに雪の上だった。

 ただ、その真っ白い筈の地面は、蓮の花のような形に紅い色が広がっている。

 夕陽が雪原を染め上げるよりもより赤く、紅く、赫く。

「――望、美……?」

 雪に足を取られそうになりながら、呼びかける。

 頼りない肩が、ぴくりと揺れた。

 その少女に抱えられるように何かが横たわっている。

 “アレ”は、何だ……?

「ヒノエ、くん……」

 振り返った少女の頬には、血が飛び散った跡と、涙の乾いた跡が残されていた。

 少女が抱きかかえて居たものは最早人とは呼びようもない、切り刻まれた“人間だったもの”だった。

「……どうして、かな……。何だか、とても、許せなかったの」

 独白めいた声が、虚空に響く。

「嘘吐きって、思ったの。……何時も私の味方で居てくれるものなんだって、思ったの。なのに、裏切られた。だから……剣を向けた」

 少女の言葉から、誰であるかすら判別がつかない屍体が誰であるか、知る事は容易だった。

「変だよね。……私の剣なんて避けられた筈なのに。逃げようとしないんだもん。……笑って、居るんだもん」

 少女の指が、屍体の頬の部分を撫でる。

 その指は直ぐに血で染まり、白い肌は見えなくなる。

 彼女の雪のように白い肌に、男の血の赤は、とても良く映えた。

 ――其れはとても、美しかった。

「ヒノエくん、ごめんね……。ごめん、ね……私、は。……若しかしたら……将臣くんのことが……」

 言わなくても良い。

 言わなくとも解っているから、そんな風に言葉を紡がないでくれ。

「好きだった……のかもしれない。……ヒノエくんより、ずぅっと……」

 離れて行くのが許せなかった。

 自分じゃないものを守ろうとするのが憎かった。

 そう語る少女の声は淡々としていて自分とは関係の無いことを語っているようだった。

 少女の肌や服にこびり付いた血は、時を経て黒ずんでくる。

「ヒノエくんを、裏切っちゃった。……だから、ねえ、お願い。……今でも、少しでも私を愛してくれているのなら……」

 私ヲ、殺シテ。

 誘うように、可憐な唇が紡ぐ。

 何て美しくて残酷な姫君。己のことを好きだと語る男に自らを殺させようとするだなんて。

 裏切りを許せと決して言わない潔さは、哀しい程にオレの好きだった姫君だ。

 ――お前の言うことなら、何でも叶えてやりたいと思っていたよ。


 でも。


「――駄目だ」

 華のような形をとった紅色をした雪の上に立ち、手を差し伸べた。

「お前を、将臣の所になんて追って行かせない」

 此れはオレの我儘で、傲慢な願い。

「なあ、もう一度オレを選びなよ」

 其処に、恋だとか愛だとか、そんな感情は無くったって構わないから。


 どうか、この手を取って欲しい。

「でも、私の手は、もう……血で汚れてしまって……」

「――汚れない人間なんかいないよ。……なぁ、お願いだ、姫君」

 卑怯だと、解っている。

 それでも生きていて欲しいし、オレの傍に居て欲しい。

「少しでもオレに対して罪悪感っていうものがあるのなら、罪滅ぼしをしてよ」

 笑みが凍り付いてしまったその顔に、何時か輝きを取り戻したい。

「何時か必ず、生きてて良かったと思わせてやるから」



 そこまで言ったところで、目の前の少女は、嗚咽を漏らし始めてしまった。

 泣きじゃくりながら、オレの手をぎゅ、と握り締める。

 もう、彼女には死の影は付きまとっていない。

「将臣を、埋めてやろう」

 二人で生き残る運命を選べた筈なのに、ただ愛しい少女の手で屠られる事を望んだ哀れな男を。

 過去と決別をする必要はない。

 涙も、悲しみも、苦しみも、憎しみさえも。

 未来へ全てを持って行って良いんだ。

 姫君は、オレの言葉にただ、何度も何度も頷いていた。

 ごめんなさいとありがとうとを、交互に繰り返しながら――。





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