「……え。また、今日も遅いの?」

 責めるつもりはなかった。

 けれども、寂しさから自然言葉が口をついて出てしまう。

「すまないね姫君。少しゴタついてるらしくってさ」

「そう……。……気をつけて、行って来てね?」

 申し訳無さそうな顔をして言われたら、もう、こう言うしかないじゃないの。

 私は笑みを顔に張り付かせ、――夫の、姿を見送った。



 ――全てが終わった後、私はヒノエくんのところに残る事を決めた。

 迷いなど、なかった。

 だって好きだったから。傍にいたかったから。

 其れ以上に理由はいらないと思ったから。

 けれど、ヒノエくんの妻となり数ヶ月経った今、私は如何しようもなく臆病で、我侭になっている。

 ――熊野別当としてのヒノエくんは、忙しい。

 あの頃共に旅をしていた頃からは考えられなかった程に。

 いや、少し考えてみればあの状況の方が異常だったのだ。

「……そう。こっちが、普通の状態なんだもん」

 そっと自分に言い聞かせるように声に出してみても、やけに白々しく響く。

 そんなの、心はちっとも納得なんかしていない。

 ヒノエくんは私の事を好きでいてくれている、そう、信じてる。

 でも、最近ふとした瞬間思うのだ。

 ――良く出掛けるのは、他の誰かのところに行っているからじゃないの――? と。

 そんな筈はない。……そんな筈は、ないのに考えてしまう。

「寂しいんだ、私」

 全ては、寂しさ故の。

 気付くと既に外は暗闇に包まれていた。

 ヒノエくんが出掛けたのは早朝だったから、一日の大半をぼんやりと過ごしていたことになる。

 嗚呼、なんて無為な時間の過ごし方。

 自嘲気味に、笑う。

 今夜もヒノエくんは遅い。

 ――待っていよう。そう、思うのに。

 落ちてくる瞼を押し留めることは、私には出来なかった……。



 僅かな振動で、眠りの淵から意識が呼び起こされる。

 けれども、何故だか直ぐに目を開けることは出来なかった。

 嗚呼、でも、心地良い。

 あたたかな何かが身体にくっついている。

 少し揺れているような気がするのは、……浮いているから?

「……望美」

 極々近くで、あまいこえが聞こえた。

 此れは、……そう、ヒノエくんの声だ。

 ゆらゆら、揺れているのはヒノエくんに抱きかかえられているからなのだろうか。

 嗚呼、そう言えば私、ヒノエくんを待ったまま寝てしまったから、布団の上じゃなかったんだ。

 頑張って目を開けようとするのに、何故だか力が入らない。

 頑張って「歩けるよ」と言おうと思うのに、口が開かない。

 そうこうしている内に、結局私は何も出来なかったようで、ヒノエくんの腕を離れそっと柔らかい布の上に降ろされてしまった。

「――寂しい想いさせて、ごめんな。ほんとはオレもお前の傍に居たいよ……」

 ……起こさぬようにという気遣いからか、その声はとてもとても小さかった。

 けれども私の心に馴染むようにじんわりと響き渡る言葉だった。

 嗚呼、なんだ。そうだったんだ。

 私がヒノエくんと一緒に居たいと思うように、ヒノエくんも想っていてくれたんだ。

 私、ヒノエくんの傍に居ていいんだって、心から思えた。

 ううん。違う。

 離れちゃ、いけないんだ。

 この隣の温もりの傍に居なくてはいけない。

 そんな想いが強くなるのと同時に、強い睡魔が訪れる。

 そうして私は、襲い来る睡魔に身を委ねるように、其の侭意識を手放したのだった――。



「……望美? 如何したんだそのカッコ」

 朝、既に起きていた私を見てヒノエくんは驚いたように口にした。

 無理もない。私の格好は昔の――龍神の神子として生活していた時のものだったのだから。

「私、やっぱり待ってるだけなのって性に合わないみたい。今日からヒノエくんと一緒に行動させてね!」

 満面の笑みを浮かべ言い放つと、ヒノエくんは最初驚いたような顔をして――其れから、笑った。

「ハハッ、やっぱお前はサイコーの姫君じゃん! 一緒に、居ような」

 少しだけ照れたような仕草をしてみせるヒノエくんの姿を見て、私も微笑んだ。

 ――前よりもっと幸せになれる方法は、こんなに簡単なものだった。




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