何時も貴方は私を惑わすような言葉をかける。

 それを嬉しいと思いこそすれ、不快だなんて思う筈もなかった。

 でもそれは、私が貴方に特別思うようになるまでの話。

 貴方は誰にでもそうやって囁きかけるんじゃないか、とか。

 どうせ一時の遊びとしか思っていないんでしょ、とか。

 そんなことばかり考えて、嫉妬ばかりして。

 どんどん自分が嫌いになって行く。

 どろどろとした感情を押し殺し、それでも私は貴方の前で笑っていた。

 守ってくれると言ってくれた。

 愛していると言ってくれた。

 大事だと言ってくれた。

 幸せだった。

 幸せだと信じ込もうとしていた。

 けれど、私の中の悪魔が囁いたのだ。

 “幸せだと思い込もうとしているだけなんでしょう?”

 “本当に私の事大事に思ってくれているの?”……と。

 彼にとっての私の位置づけはどの程度なのだろうか。

 彼の中を私はどれくらい占める事が出来ているのだろうか。

 そう考え始めた事が、全ての間違いだったのだと、今では思う。

 ――私の恋心が全てを狂わせてしまったのだと、自覚している。

 けれど、もう……。

 もう、止まることは出来ないのだから……。




「このまま熊野の本陣に攻め入ります。彼らを沖に出させないように……水軍を押さえ込めば圧倒的有利に制圧出来る筈です」

「神子様は如何なさるのですか?」

「……直接、熊野別当を叩きに」

 周囲の熱気が凄い。後もう少しで熊野が落ちる。

 全ては己の策略の元。熊野が平家側につくように仕組んだ。

 熊野の存亡を考えたのならば平家側につくのが得策――そういった状況を作り上げて。

 運命を託した賭けだった。

 もしも熊野の犠牲よりも私を選んでくれたなら、源氏側についてくれたならばこんなことにはならなかった。

 ……私は、賭けに負けた。

「……平家が勝つ未来だなんて、最初から残されてなかったんだよ、ヒノエくん」

 だって全て仕組んだことだから。解決策ぐらい私は用意していた。

 もう、運命を上書きなんてしない。今回で全てを終わらせる。

 愛した記憶も、幸せだった日々も、……裏切りという現実も。

 二人の思い出を抱えて貰ったままのヒノエくんが居る、今回で最後。

 今日で、さよなら。



 ヒノエくんがいるとされる場所へ、先陣を切って乗り込む。

 彼を此処まで追い込んだのは私。そんな私を彼はどんな顔をして迎え入れてくれるだろうか。

 守ると言った存在から追い詰められる気分はどんなものだろう。

 私を選ばなかったからこうなったんだ、ざまあみろ。と、そう言ってやるべきだろうか?

「……見つけたっ……!」

 多分事前の情報がなければ見つけられなかっただろう。

 熊野の山を熟知している彼らならではといったところだ。

「神子様っ、此処は我らにお任せを!」

「ありがとう!」

 彼の周囲の兵士達を押さえてくれる事をこの一言で確信した私は、兵士達に構わず特攻した。

 奇襲など予測してはいなかった為か陣形を乱した兵の隙間をすり抜けて、私は目的の人物の元へと駆ける。

 その姿を見ると頭に血が上り、会話をしようとした先ほどまでの気分は何処かへと消え去り、無意識の内に刃を振り上げていた。

「たぁっ!」

 フォン、と風を切る音が聞こえる。

 激情に駆られる侭に振り下ろした剣は、矢張り軽い身のこなしで避けられてしまった。

「……望美……?」

 唖然と見開かれた瞳が此方を見遣る。

 嗚呼、少しやつれたな、と彼の顔を視界に入れ、考えた。

「お前に切りかかられるとは思わなかったよ……」

 甘やかな空気はもう存在しない、緊迫した、それでいて苦しげな響きを持った声音で呟かれる。

「嘘。思ってたでしょう? ヒノエくんが、熊野を選んだその瞬間からこの瞬間は予測できてたはずだもの」

 自分でも想像できぬ程に冷たい声が唇から零れ落ちる。

 私は自分で思って居たよりも、ショックを受けていたのかもしれない。

 彼が、私を選んでくれなかったことに。

 断末魔のBGM、視界の端に移りこむ赤、紅、あか。

 別当である彼を守ろうとする兵たちが此方に近寄って来ようとはするものの、それら全てが源氏の兵に止められる。

「望美、俺は……」

「熊野を守らなくちゃならない。……そうでしょう?」

 彼の言葉を遮るように引き継いで、彼に構えるように促した。

 私を倒したら何とかなるかもしれないよ。と、そう静かに彼を見据えて。

 嗚呼、そんなに哀しそうな顔をするのは卑怯だ。

 そんな顔をされたら私も悲しくなってしまうじゃないか……。

 其れ以上彼を見てしまわぬよう、私は再度剣を振りかぶった。

 体を捻り、私の剣の先を軌道を変え往なした。

 此れまで幾度と無く私を悩ませてきた根源を此処で断つことが出来のだ、と、そう言い聞かせ剣の柄を握り、構え直す。

 その一瞬の逡巡。

 思考が別の方にと捕らわれたほんの一瞬で、彼は間合いを詰め、…私の目前に居た。

 嗚呼、お腹が熱い。ジンジンする。

 刺されたのだと気付くまでに其れ程時間は掛からなかった……。

「ヒノ、エ……くん……」

 体を低く構え、更には俯いた彼の顔はわからない。

「……好きだった……愛して、た、よ……」

 低く押し殺した声が震えているのは何故だろう。

 貴方は熊野を選んだんでしょう? これは正しい行動でしょう?

 指に力が入らない。

 あんなにしっかり握ったはずの柄はもう、私の指には感じられなかった。

 もう駄目だと自覚した頃には体が崩れ落ち、硬い地面に膝をつく。

 嗚呼、もう立ち上がる力も出ない。

 地面についた髪の先が、誰のものとも知れぬ赤い血で染まって行く。

 嗚呼、ヒノエくんとお揃いだね。

「何……で、こんなこと……な、った……だろ……な……」

 同じ様に膝を付いたヒノエくんは、どうしてこんなに苦しげな声を出しているのだろうか。

 ほんの些細な動作すら痛みが邪魔してすることがつらい。

 荒い息を吐き出しながら、歯を食いしばり視界を上げた。

 ぽた、と……アカイ雫が落ちている。

 それは誰の血?

 今、目の前で、私の剣が突き刺さって居るのは…誰?

「何で……? ヒノエ、く……」

「結局、どっちも……守れな……い……。……っ、ぉ……まえ、殺し、て……一人、生きて、熊野だけ、……考えられな、い……から……」

 何て、馬鹿な人なんだろう。

 一時の想いの為に全てを捨ててしまうなんて。

 生きてさえいれば、これから如何程の幸せがあるかなんてわからないのに。

 嗚呼、でも、もう良いや。もう何も考えなくて良い。

 確かに彼が私を愛してくれていたと知る事が出来たから。

 これでやっと、何も考えずに彼に好きだといえる。

 一緒にいられる。

 ねぇ、ヒノエくん。私、ヒノエくんのこと好きだよ。

 ……嗚呼、好きだって言いたいのにもう唇が動かない。

 抱きつきたいのに、腕が鉛のように重い。

 目も、見えなくなってきちゃった……。

 でも、ねえ、大丈夫だよね?

 今度見えるようになった時には、ヒノエくんが笑っていてくれるよね?

 笑って、抱きしめてくれるよね……?

 深い眠りに落ちる前みたい。もう何も考えられない。

 ねぇ……ヒノエくん……



 大好き、だよ……。

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