貴方に似合うのは、大人びた女性なのだと思う。
貴方に似合うのは、聡明な女性なのだと思う。
貴方が考えていることを教えられなくても察知して、心の支えになる……。
強くて優しい、そんな女性が貴方には相応しい――。
鏡に映った顔は、まだ“少女”の区域に入るもの。
そんな自分の顔が恨めしくて、頬をつねってみる。
「…痛い」
解ってはいたけれど、頬をつねった顔は益々幼く見えて、私の溜息を深くさせるのである。
戦う事や守る事しか考えなくて良かったあの世界では生まれなかったこの気持ち。
――いや、気持ちは既に生まれいたのだと思う。
其処から必死に目を逸らしていただけ。
それが、現代に戻って来て気持ちに余裕が生まれたのか、囚われるのはそのことばかり。
「惨め…」
頭を突っ伏し、鏡の中の自分から目を背ける。
こんな風に思い悩んでしまうのは、今日、とある光景を見てしまったからなのだと思う。
弁慶さんが、綺麗な女の人に声を掛けられている姿を見たのは、ほんの偶然。
その時、弁慶さんはあの優しげな微笑を浮かべて断っていたみたいだけれど……。
私は、胸の痛みを誤魔化し切れずに思わずその場から逃げ出してしまったのだ。
「…馬鹿みたい。知らない人に嫉妬しちゃって……」
そんな権利だって何もないのに、ただ、お似合いの二人に見えただけで酷い嫉妬をした。
思い出すだけで、胸がぎゅっと痛む。
「…………私なんて、相手にされる筈、ないよね……」
幾度目かの溜息を吐こうとした所で、携帯電話の音が鳴り響く。
こんな気分の時に、と重い腕を伸ばし、着信音を奏でる携帯電話を手に取った。
ディスプレイに表示されている名は、正に今、自分が思い描いていた人物で――取ろうか取るまいか、一瞬悩んでしまった。
数秒の逡巡。
ピ、と通話ボタンを押し、携帯を耳に押し当てる。
「も、もしもし…?」
電波の入りが悪いのか、僅かな雑音の後に、優しいあの人の声が聞こえた。
「望美さん?すみません、今忙しかったですか?」
直ぐに出なかった事を言っているのだろう、違うと伝えようとして思わず首を横に振ってしまう。
そんな動きも電話越しなれば相手に伝わらないのは当然で、今度は口に出して、「大丈夫です」と告げた。
「大丈夫なら良かった。……先程、望美さんの姿を見かけたような気がして……そうしたら、何だか君の声が聞きたくなっちゃたんです」
特別な用事はないんですけど、と微かに笑いを含んだ声で囁かれる。
不用意にそんな言葉を言わないで。
貴方にとっても私が特別なんだって勘違いしてしまいそうになるから。
どんな返答を返そうか迷い、口を噤んでしまっている所に、弁慶さんが続けざまに言葉を発する。
「ところで、望美さんは明日お暇ですか?……僕の為に時間を空けてくれると嬉しいのですけど……」
思いもがけない誘いの言葉に、何も考えぬまま頷いてしまいそうになる。
でも、
何で? …って。
そう、思ってしまったから。
直ぐには返事が出来なかった。
「……勿論、無理にとは言いませんが……」
そんな私の様子を気遣ってくれたのか、付け加えるように言ってくれる。
やっぱり私は馬鹿だ。
何を躊躇っているのだろう。
自分から、一緒にいられる時間を無碍にしようとするなんて。
「明日、ですよね。大丈夫です。誘って頂けて嬉しいです」
矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、誘い自体は嬉しいのだと伝える。
私の言葉を聞いた弁慶さんは、どこか安堵したような溜息を吐いて居た。
「そうですか。それなら明日の朝、迎えに行きますから……待っていて下さいね?」
はい、と返事をして切れた電話。
もうあの人とは繋がっていないのはわかっているのに、私は暫し、耳に携帯を押し当てた侭になっていた。
「……あし、た…」
小さく、口に出してみるといきなり現実感がわいてくる。
慌てて携帯を耳から離し、何を着ていこうと慌ててクローゼットを開けた。
その中からお気に入りの数着を出し、ベッドの上に乗せて置いて一枚ずつ全身が映る鏡の前で身体に当ててみる。
若草色のワンピース、桃色のカットソー、ふんわりとしたフレア・スカート……。
次々と試してみるけれど、そのどれもが子どもっぽくて、先程悩んでいた事をまた思い出してしまう。
こんなんじゃ、弁慶さんの隣を歩いていてもつりあいが取れないよ。
……少しでも、ほんの少しだけでもあの人に似合う女性になりたい。
そう思う気持ちが、私の背中を押した。
携帯電話を再び手に取り、目的の人物の番号を捜す。
同じクラスの、何時も大人っぽい友人の番号を見つけ、コールをした。
本当ならば、朔に相談したい所だけれど、此方のファッションについては流石に相談できない。
「――…春日さん、どうしたの?」
「あ、いきなりごめんね。…あの、お願いがあるんだけど…」
「春日さん!」
家の前で待っていると、朗らかな彼女の声が聞こえて其方に顔を向けた。
モデルのように整ったスタイルと、綺麗な顔。
高校生には見えない大人びた彼女には年の離れた彼氏が居ると聞いた事がある。
「私持ってる服で春日さんに似合いそうなの持って来たよ」
手に持って居た紙袋を掲げるようにしてくれる彼女に、有難う。と礼を言いながら家の中に入るように勧めた。
彼女が持って来てくれたのは、肩見せの黒いシャーリングカットソーに、白地に黒の花柄のアシメトリーのフレアスカート。
モノ自体はシンプルだったけれど、二つとも凄く落ち着いたデザインで、合わせて着たら少しは大人っぽくなりそうだと、そう思った。
「で、後はコレにブーツでも履いてくれればと思ったんだけど、其れで良かった?」
小首を傾げて問い掛けてくる彼女に力いっぱい頷いて見せると華が開くような鮮やかな笑顔を返された。
「デート、上手く行くと良いね」
いきなり呼び出されたのに、快く協力してくれる彼女に、ジンとくる。
「ありがとう……」
精一杯の感謝の言葉を口にすると、どういたしましてと彼女は笑い、「また学校でね」と帰っていった。
――これで、少しは貴方の隣に立って良いような女に見えますか?
心の中でそっと問い掛けてみても、返事はない。
早く明日になって欲しいような、明日と言う日が永遠に来て欲しくないようなそんな複雑な思いを胸に抱えながら、その日は早々に床に着いた。
早く寝なくちゃ、と思うのに、何だか胸がドキドキしてしまって、良く眠れなかった――。
「……な、何か落ち着かない……」
着慣れない服に身を包み、居間の椅子に腰を降ろしチャイムが鳴るのを待つ。
何時もよりも大人びた化粧をして、髪も結った。
後は、弁慶さんが来るのを待つだけ。
チャイムの鳴る音が響く。
慌てて立ち上がり、バッグを手に取ると玄関へと駆けた。
「はーい!」
返事をしながらブーツを履き、ドアを開けた。
其処には、ゆったりと微笑を浮かべた弁慶さんが立って居る。
私の姿を見た時、少しだけ意外そうな顔をして、首を捻ってみせた。
「あれ? 何時もと雰囲気が違いますね」
直ぐに気付いてくれたことに喜びを感じながらも、逆に、似合わないのだろうかと不安になる。
「変、ですか…?」
上目遣いでそう問い掛けるとすぐさま否定するように首を横に振った。
「いいえ、とてもよくお似合いですけど……」
その後に、続いて言葉が出るのかと思ったのだけれど、結局はそこで終わってしまい、弁慶さんはただ「行きましょうか」と笑った。
「今日は何処に行くんですか?」
背筋をしゃんと伸ばして弁慶さんの隣を歩く。
私の歩幅に合わせてくれるのか、歩調は緩やかだ。
「そう、ですね……。映画の試写会、というものが当たったので其れを、と思ったのですが……その前に、少し寄り道を」
「?」
寄り道する場所については微笑んだまま「内緒です」と云うだけ。
……けれど、その訪れた場所は――。
「……服屋……?」
「はい。僕に、君の服を贈らせて頂けますか?」
先程の言葉の続き。
其れは、「大人びた格好よりも、何時もの格好の方が似合う」というものだったのだろうか?
頑張ってきたモノ全てががらがらと崩れ落ちて行くような感覚。
僕には相応しくないですよ、と突き放されるような悲しみ。
胸が苦しくなる。
「……それ、は……」
問いかけようとする声が、震えてしまう。
ねえ、それは如何いうこと?
「それは……私には、本当は、こういうのが似合わない、ってこと、ですか……?」
鏡の中に映っていた自分は何時もより幾分も大人びて見えて、着ている、というよりは服に着せられている風だったかもしれない。
化粧だって、馴染んでいなかったのかもしれない。
でも。
それでも。
私の気持ちや努力を踏みにじられているみたいで、泣きたいような気持ちになった。
俯いてしまった私の心境を悟ったのか、弁慶さんが私の顔を覗き込んで来る。
「望美さん、勘違いしないで下さいね? 僕はただ、君に背伸びをして欲しくなかっただけなんです」
だって、背伸びをしなきゃ、私は如何しようもない子どものままで、弁慶さんには相手にもされない。
そう言いたいのに、真一文字に引き締められた唇は、開いてはくれない。
「僕の為にそういった装いをしてくれたのならば、尚更。僕は、何時もの望美さんの方が、好きです」
傷つけないように、勘違いを促すような言葉でフォローをする。
如何して、好きだなんて言うの?
「僕の為、というのが嬉しく無い筈が無い。けれど、背伸びは…無理は、して欲しくないんです」
ゆっくり、成長してくれていって良いんですよ。僕は君の事が本当に、好きなんですから。
音としては発されなかったけれど、唇が、そう動いた気がした。
驚いて思わず弁慶さんの顔を見ると、真剣な彼の目と視線がかち合う。
ふ、と目元を和らげて、弁慶さんは笑った。
「ちゃんと待っていますから。君も、別の男に目を向けたりしないで下さいね」
続けざまに紡がれた言葉に唖然としている私に甘い微笑みを向け、エスコートするようにそっと背中に手を添える。
「それじゃあ、今の君に一番似合う服を僕に選ばせてくれますよね?」
有無を言わせぬ口調。
独占欲とも取れる言葉の数々。
若しかしたら私はとんでもない人に惚れてしまったのかもしれないと、やけに晴れ晴れしい空を見上げながらぼんやりと思ったのだった――。
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