海に行く時は何時も将臣くんと一緒だった。
幼い頃は私と、将臣くんと、譲くんがいて。
すこし大きくなってからは学年の違う譲くんは何時しか一緒に行かなくなった。
そして、何時の間には二人で砂浜を歩く。
時には学校帰りだったり、時には休みの日の散歩だったり。
偶に一人で考え事をしている時に歩いたりはしたけれど、他の友達と歩く事はなかった。
そして、将臣くんもまた、そうだったと思う――。
少なくとも、あの日までは。
「望美、有川君隣のクラスの女子と付き合いだしたんだって?! 昨日の放課後、一緒に帰ってたって噂になってたわよ!」
朝教室に入るなり友人の一人が声を掛けてくる。
其れに対してわざと厭そうな顔を作ってみせながら、自分の席へと向かった。
「知ってる」
鞄を机の上に置き、椅子に深く腰掛ける。
此方が厭そうな顔をして居るというのに、それでも好奇心が勝っているのか私の机の前に陣取ると、机に手を突いて問い質すように言葉を紡ぐ。
「あんた達付き合ってたんじゃなかったの!」
――苛々した。
「付き合ってないよ。幼馴染ってだけ。将臣くん可愛い彼女が欲しいって言ってたもん」
そして、今日の朝は仲良く二人で御登校、だ。
「あー……そうなんだァ。有川君人気あったもんね。望美と付き合ってるって思ってた所為で皆静かだったけど」
机の下で足をぶらぶらと揺らしながら、皮肉げに笑ってみせた。
付き合い出した事を聞かされたのは、昨日の朝。
何時ものように一緒に学校に向かう途中、まるで今日の授業の時間割のことでも話すかのような軽いノリで打ち明けられた。
そのカノジョと一緒に登下校するから、これからはお前とは登下校できない、とはっきり言われた。
カノジョからしてみれば、折角付き合い始めた彼氏の幼馴染という存在は邪魔者以外の何でもなかったようだ。
間違っていないな、と思う。
実際に私がその立場だったとしたら、間違いなくその幼馴染から彼氏を遠ざけようとするだろうから。
冗談めかして将臣くんに「幼馴染よりカノジョを選ぶんだ」と云った時、彼は曖昧に笑って「悪ィな」と言っただけだった。
半端な優しさが、私の胸を抉った。
将臣くんは優しいから、……他人を、大事に出来る人だから。
カノジョの不安を少しでも拭ってあげたかったんだろうと思う。
――そう。
将臣くんは、優しいから。
「っと、噂をすれば何とやら。二人仲良く御登校みたいネ」
ひょいと窓を覗き込むようにしてから態々報告してくれる友人の背中を眺めつつ、私は小さく溜息を吐いた。
「ふぅん……」
二人が並んで登校しているところなんて見たくなくて、私は席を立たなかった。
その日、私は一度も将臣くんと目をあわさずに学校での一日を終えた――。
「望美ィ、帰りどっか寄ってく?」
今日一日元気の無かった私を気遣ってくれているのか、友人が誘い掛けてくる。
其れを丁重に断り、私は一人で校舎を出た。
一人で帰るだなんてどれくらいぶりだろう。
今頃将臣くんは可愛いカノジョを送って行っているんだろうと思うと、何だか無性にむしゃくしゃした。
「……ひとりで行くのは、あんまり好きじゃないんだけどな……」
遠心力に任せるようにぶんと鞄を振り回す。
そんな独り言を言いながらも、寂しい心を紛らわせるように足は自然、浜の方へと向かっていたのだった。
「――……ぁ……」
砂浜へ降り、ゆっくりと歩いていた所で此処に居る筈の無い影が見えた。
……居る筈が無いと、本当は思いたかっただけ、なのだけれど。
だって、将臣くんの隣には小さな影が寄り添うように立っていたから。
もう将臣くんは、私の隣で、砂を踏み締めて歩かないということ、で。
其処は私の場所なんだよ、と大声を出して叫びたかった。
でもそれは、幼馴染という立場ではいえない言葉。
単なる独占欲。
制服のスカートの裾をぎゅっと握り締め、私は暫しその場に立ち尽くした。
遠目でも将臣くんが楽しそうにしているのが見える。
声を立てて笑った時、不意に視線が私の方へと向いた。
――どくん、と胸が鳴った。
悪い事なんて何もしていないのに、その場に居た事すら悪い事のような錯覚に陥る。
気付けば私は、ふたつの影に背を向けて砂浜を駆け抜けていた。
「――ハ、ァ……ッ」
そんなに距離は走っていないのに、浜辺を走る事というのは大幅に体力を消耗するらしく、息切れが酷い。
「あっ!」
気を抜いた途端、砂に足を取られ、砂浜に座り込んでしまった。
ざりざりとした感触が脚に当たるけれど、ひとつひとつの粒は小さいから、怪我をした様子もない。
「……何で逃げてんだろ。馬鹿みたい……」
将臣くんは、気付いただろうか。
……きっと気付いている。
だって、将臣くんの視線は確かに私を捕らえていた。
「……馬鹿みたい」
おいてけぼりにされたことが厭だっただけ。
この気持ちは、恋とかそんなものじゃないの。
だって私、将臣くんのカノジョになりたいわけじゃない。
ずっとずっと、幼馴染でいたい。
だけど。
それと同時に、誰かに取られたくないとも思っているのだ。
「……将臣くんの、馬鹿」
小さな声での罵倒。
本当に八つ当たりのようなものだったそれに、返事があるだなんてちっとも思ってみなかった。
「誰が馬鹿だ誰が」
呆れたような声が、頭上から届く。
座り込んだ砂の上に影が差すのを見てから、漸く其処に将臣くんがいるのだと気付いた。
「……将臣くんが馬鹿」
本当は馬鹿だなんて思っていなかったけれど、口をついて出た。
将臣くんの隣には、誰も居ない。
「……カノジョは?」
そう聞くと、俄かに表情を歪め、唇を曲げてみせた。
聞いてはいけないこと、だったのだろうか。
「お前を追い駆けて行くっつったら、キレた」
私の所為?
けれど、怒ったカノジョを宥めてから、此処に来たにしては早すぎる。
だとしたら――。
「オラ、何時まで座り込んでんだ。日が暮れる前に帰るぜ」
駄々を捏ねる妹の面倒を見る兄みたいに、将臣くんは私を宥めるように手を引いて立ち上がらせようとした。
酷い話だけれど、カノジョが一緒に居なかった事で安心してしまった私は躊躇い無くその手を取る。
立ち上がった時に、靴の中がざらざらしているのを足の裏で感じた。
「……キモチワルイ」
「そりゃこんなトコ思いっきり走るからだろ」
何が気持ち悪いのか、説明せずとも将臣くんは悟ってくれたらしくて、私に肩を貸しながら靴を脱ぐように示した。
其れに従うと、何気ない動作で靴の中から砂を落としてくれている。
「……お前海の中に足突っ込んだか?靴の底濡れて砂くっ付いてるぞ」
露骨に厭そうな顔をしてみせる将臣くんに、そんなことはしていない、と言い掛けたが、そう言えば靴下も何だか濡れて、べたべたしているような気がする。
「そうかも……」
走ることで一生懸命だったから海に足を突っ込んでしまったのにも気付かなかった自分が情けなくなった。
「ったく、お前は目を離すとすーぐこれだ」
うなだれてしまった私を見て、将臣くんは仕方なさそうに笑ってみせた。
「ならもういっそのこと靴下も脱いじまえよ。たまには裸足で歩くのも悪くないだろ?」
軽く言えてしまう姿に、相変わらずだなと感心しながらも私はその指示に従ってしまっていた。
靴も靴下も脱いでしまった足はとても軽くて、先程まであれほど走りにくかった砂浜も自由に駆けれそうだ。
「置いてくぞ」
呑気な声をかけながら、将臣くんは既に先を行っていた。
「待ってよー!」
その背中を追うように、私は砂浜を裸足で駆ける。
邪魔なものを取り払った足は、とても軽かったけれど。
カノジョだったらきっと、こんな風に追い駆けることはないんだろうな、と少しだけ思った――。
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