「わたし、きれいなおはながすきなの」

 夢の中での幼い貴方は、そうやって笑う。

 その時の笑い顔の方が余程綺麗な花のように見えた。

 きっとその時からだったのだろう。

 あなたの事を目で追うようになった。

 幼い頃に胸に芽生えた小さな想いは、今も未だ、燃え続けている――。


 鳥の囀りが聞こえる。

 まだ眠っていたいと訴えかけてくる瞼を懸命に押し開けた。

「――夢、か」

 吐息のような台詞を漏らし、手探りで眼鏡探してから起き上がった。

「昔の夢を見るのも久し振りだな…」

 最近は、不可思議な夢を見るばかりだから、こんなに純粋な過去の夢を見るのは殆ど無い。

 だからだろうか。

 余程ぐっすりと眠っていたようで、所々髪に寝癖がついてしまっている。

 らしくない、と自嘲気味に笑いながら、起きたばかりの重い腕を持ち上げ、跳ねた髪を押さえつけた――。


「……兄さん、今日は珍しく早いね」

 リビングへと入ると、どっかりとソファーに腰掛けテレビを見ている兄の姿が目に入る。

 テレビを見ながら生返事をするように、投げ遣りな調子で言葉が返ってきた。

「嗚呼。遊び行こうぜって誘われたんだが、寝坊したらしく1時間待てって言われたからな」

 時刻を見てみると時計は9時を回っていた。

 兄が起きるにしては些か早い時間だが、一般的に見て其れ程早いわけではないだろう。

 ならば、自分が寝過ごしてしまったのかと想うと少し居心地が悪くなった。

 テレビを眺めている兄の横顔は、見慣れたものである筈なのに、何処か違和感を感じる。

 数年後の姿をした兄の顔を余程見慣れてしまったのか。

 今ではもう、我が家に留まっていた皆も元の世界に戻り、静けさを取り戻したというのにこの静けさにも慣れはしない。

 あまりにも昔のままの状態が戻って来て、……寂しい、というのはこういう状態を言うのだろうか。

「譲、お前は今日出かけんのか?」

 そろそろ出かけるのか、緩慢な動作で立ち上がった兄が問いかけてくる。

 その質問に、瞬時に思考をめぐらせた。

「予定はなかったけど。……そうだな、肥料でも買いに行くかもしれない」

 肥料、と言うのに少し兄は考えこんだようだったけれど、すぐに、「ああ、庭の温室か」と納得したようだった。

 此方の世界に戻って来て以来、先輩が温室の様子を気にしてくれるようになった。

 だから、というのは不謹慎かもしれないが。

 少しでも、綺麗だと思われるようなものにしたい。

「お前もマメだねェ」

 兄が感心したように言っている事は解っている。

 だか、何となし馬鹿にされているような気がして、思わず「煩い」と言い放ってしまった。

 そんな俺に、兄は何を言うでもなく、ただ仕方なさそうに笑っただけだった。


「……流石に、邪魔だな……」

 本来は肥料だけを買うつもりだったのだが、街に出てみると、アレも、コレも必要だったと不用意に手が伸びてしまう。

 その結果が、両手が塞がってしまい、重くはないものの幅を取ってしまう。

 家まで遠いな、とぼんやりと考えていたら、不意にぽん、と肩を叩かれた。

「譲くん!」

「せ、先輩?」

 振り返らずとも解る。

 少し高めの、それでいて耳に心地良い先輩の声。

 身軽な動きで俺の正面に回るようにして、話しかけてくる。

「後ろ姿が見えたから追って来ちゃった。荷物、いっぱいだね。手伝うよ」

 どこかへ出かけていたのかと問いかける前に、先輩のか細い手が俺の荷物を幾つか奪う。

 制止する間もなく取ってしまうのは、随分と卑怯だと思った。

「どうせ帰り道いっしょだし、ね?」

 そんな事を言われてしまったら、尚更断る事が出来ない。

「有難う、御座います。……嗚呼、でもどうせ持ってくれるのなら、こっちを……。こっちの方が軽いですから」

 出来るだけさり気無い風を装って、少しでも軽いものを持って貰おうと試みる。

 先輩的には其れ程重さは変わらなかったのか、少しだけ不思議そうに首を捻っていた姿が印象的だった。

「それ、温室で使う肥料?」

 興味深そうに覗き込んで来る顔を見下ろしながら、一つ頷いて肯定を示してみせる。

「先輩が良く見に来てくれるようになったので、もう少し手入れをきちんとしないと祖母に夢枕に立たれそうですから」

 あながち冗談とも言えない台詞だと自分でも思いながら、他愛ない会話を交わす。

「そういえば、そろそろ新しい花があっても良いと思うんですけど、先輩はどんな花が良いですか?」

 突然の俺の問い掛けに、先輩は少しだけ悩むように空を仰ぎ見ながら、無言になった。

 幾ら先輩の為に温室を整えようと思ったからって、焦りすぎたのかもしれない。

 いきなりこんなこと言われたら困るのも当たり前だ。

 気にしないで下さい。と言い掛けた所で、先輩は本当に、花が綻ぶような笑顔を浮かべた。

「やっぱり、沢山の色があってくれた方が嬉しいな」

 夢で見た笑顔と、まるで変わらない無邪気な笑顔――いや、あの頃よりも、もっとずっと綺麗な笑顔。

 其れを昔みたいに隣で見られて、俺はこの上なく嬉しさを感じて居る。

「そうですね。きっと、綺麗に咲きますよ……」

 そうして、色とりどりの花が咲いたら、貴方はもっと嬉しそうに笑ってくれるだろうか?

 そうだと良いな、とぼんやりと考えながら、影が長く伸びる夕方の道を辿った。



 季節が巡り、沢山の花が咲き……そうして、色とりどりの花束を、貴方に――。



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