「神子」

 低く落ち着いた声が響く。

 優しく響く其の声はとても神聖なものだ。

 だけれども、音は音でしかあらず、其れを紡ぎだしているのは人のものでしかない。

 そう、白龍という人の姿を持った者が紡ぎ出したものでしかないのだ。

 ……その事実が忘れさせる。

 彼が、本来は手の触れる事も叶わぬ程の存在なのだと――。


「神子?」

 呼びかけるように私の名を呼んで、白龍が顔を覗き込んできた。

「ん? 如何したの白龍、何か用?」

 自分の考えに没頭していた所為で随分とぼんやりしていたように思う。

 その事で心配をかけてしまったのだろうかと顔を上げ、慌てて白龍に向けて微笑んでみた。

「神子の気が乱れていたから。……何か、気懸かりなことでもあるの?」

 形の良い眉を顰めさせ問いかけてくる様は本当に心配してくれているのだと解る。

 何時もこのように気遣ってくれる白龍に「ありがとう」と礼を口にした。

 その時の彼の微笑が、胸をざわざわと騒がせる。

 ……その事実に、また動揺を隠せないのだ。

 彼が子どもの姿だった頃は、こんなに動揺することは無かったのに……。

「ねえ、白龍」

 徐に口を開いた私に、何? と促すように首を傾げてみせる。

 こんな仕草はまるで変わっていないのに。

「……今までの神子の前には、龍神は、人の姿を模してなかったんだよね……?」

 私のように、龍神に想いを寄せる神子は居なかったのだろうか。

 私のこの想いは、罪なのだろうか……?

「そうだよ、神子。……例がないわけではないのかもしれないけれど、私の知っている限りでは…いない」

 その言葉を聞いた瞬間、この想いは叶わないのだと本能的に悟ってしまった。

 哀しい、ことだった。

 泣きたい気持ちになった。

 思いが表情に滲み出てしまっていたのか、白龍が申し訳なさそうな顔を作る。

「私の力が足りないばかりに、神子には大変な思いばかりをさせてしまっているね……」

「そんなことないっ!」

 反射的に口をついて出た否定の言葉。

 そんなことない。迷惑である筈がない。

 だって私は貴方に会えてこんなに嬉しいのだから。

「迷惑だなんて、思うわけ、ないよ……」

 出会わなければ良かっただなんて思えない。

 好きにならなければ良かっただなんて思えない。

 いっそのことそう思ってしまえたのならば楽になれるのだと解っていても。

 自分のこの気持ちを否定することなんて出来るわけがないのだ。

 そんな私の気持ちを如何受け取ったのかは解らないが、白龍は目を細めてやわらかく微笑んだ。

「ありがとう。神子は、優しいね。……神子、大好きだよ」

 彼には深い意味はない。

 龍神が自分の神子に対して向ける感情でしかないのだろう。

 それが解っているのに、嗚呼、私はこんなにも嬉しくて、哀しくて、泣きたいような感情が込み上げてくるのだ。

「私も白龍のこと、大好きだよ」

 きっと、貴方の好きとは違う好き、なのだろうけれど。


 二度と逢えなくなるとわかっていても、想いを伝える事が無くても。

 私が貴方の神子であった事はこの先ずっと変わらない。

 例え白龍にとって人の身での思い出が刹那の瞬き程であったとしても、だ。

 近づきつつある別れの予感。

 その大きな流れに逆らうことは出来ない。

 恋というものは全く、自分では如何することも出来ない感情。

 でも私は、好きになった事を後悔はしていない。

 例え、貴方が先の未来で新たな神子を選んだとしても、私程に貴方を好きになる神子は現れないだろうから。

 想いに応えてくれだなんて、言わない。

 だけど、ただひとつだけ――。


「私の事、忘れないでね……」



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