幸せを噛み締める日々。

 されど永久には決して続かぬ日々。

 眠る春の色彩を持つ人の傍らで、僅かに灯りをともし、秘かに筆を取る。

 そして思い起こすよう、ゆっくり目を細めてから腕を動かし始めた。

 一文字一文字、言葉を認める。

 今日あった事や感じた事をつぶさに記す。

 言ってしまえば単なる日記に過ぎない。

 だが此れはそれ以上の意味を持つ。

 綴る言葉は貴女へ向けて。

 二人で過ごした日々がどれ程愛おしく幸福であったのかを書き留める。

 貴女は「古典みたい」である文字を読むのが苦手だと言った。

 一体私がどんな事を書いているのか、貴女は知りもしないのだろう。

 私が居なくなった後で、見るのも辛くなると全てを燃やしてしまうかもしれない。

 此れを読む日は、来ないかもしれない。

 だが、それでも私は綴らずにはいられない。

 言葉を残さずにはいられない。

 感謝の言葉と、愛しむ言葉。

 書き留めた言葉など、何の慰めにもならぬことを知っている。

 書き留めた言葉など、より貴女を辛くさせるだけなのかもしれない。

 けれども万に一つでも、文字を辿ることで貴女が「幸せだった」と思ってくれるのなら。

 私は書き留めた言葉が無駄ではなかったと信じられるから。

 想いを言葉に出すことは難しい。

 貴女の視線はあまりに清らかで、目の前にすると何も言えなくなってしまう。

 憚るものは何もないと言うのに。

 気付くと何時の間にか紙は墨で書かれた文字によりその白さを隠しつつあった。

 何時も、終わらせるための言葉が思い浮かばない。

 今日も其の状態のままで暫し悩んではみたものの思いつくことはなく、中途半端な状態で筆を置いた。

 墨が乾くまで触る事は出来ず、ふ、と小さく息を漏らした。

 ふと視線を横に向けてみると、何時の間に起きてしまったのか、未だ半ば夢の中にいるような瞳が此方を見ていた。

「起こしてしまったか? すまない、もう……」

 寝るから、と。

 紡ぎかけた言葉は途切れてしまった。

 何かを求めるように伸ばされた手。

 其れがまるで私を招いているように見えたからだ。

 恐らく気の所為ではない、呼んでいるのだ。

 灯りを吹き消してから、ゆっくりとそちらへと近づいた。

 差し伸べられた手を取るようにすると、くん、と手を軽く引っ張られ、指は其の人の口元に誘われた。

「……指から、墨のにおいがしますよ」

 そっと、柔らかな唇の感触が指に伝わる。

 ふわふわと、幸せそうな顔をして笑ってくれる姿が何よりも愛おしく、そっとその瞼に口付けた。

 ――幸せそうに笑う貴女を想っている。

 貴女が不幸せそうな顔をしないで、生きていて欲しい。



 ――ただ辛いだけの思い出と化してしまうのならば、どうか私の事は忘れて欲しい。





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