「あれ? もしかして……」

 見覚えのある後ろ姿に、何となしに首を捻った。

「ヒノエくんのお父さん……だよね?」

 熊野であるから、いるのは決しておかしなことではないのだけれど、今向かった方向が
気に掛かった。

 確かあの細くて暗い脇道はガラの悪い人達が集まっているから近寄るな、とヒノエくん
が言っていたはずだ。

 こんな時に限って一人きりで出てきてしまっている。

 周囲を見渡してみても、知っている人は見当たらなかった。

「でも……やっぱり、気になるよ」

 皆に知られてしまえば不用心だと怒られてしまいそうだったが私はその背中を追った。


 奥まった道は狭く細い。

 元の世界であったのならば凡そ近寄らないであろう、薄汚れた路地裏のようだ。

 追った背中は既に視界には入って来ず、もっと奥に進んでしまったのかはたまた自分の勘違いなのかまるで検討がつかずに少し悩む。

 其れでも一旦踏み出したものを引き返すことも躊躇われて、真っ直ぐに前にと進んだ。

 大丈夫。悪い人に逢うはずもない。それにもし逢ったとしても私には剣がある。其れを振るう腕もある。

 そう、自分に言い聞かせて。

 しかし現実はそう甘くなく、ぬっと大きな影が目の前に立ちふさがった。

 一瞬はヒノエくんのお父さんかとも思ったけれど、見上げた顔は見知らぬもの。

 顔を顰める前に、他にも幾人かの気配がして自分が取り囲まれていることが解った。

「よぉ。こぉんな道に何の用だ? 俺タチと遊んでくれんのかい、お姉ちゃん?」

 ニヤニヤとした厭らしい笑みを浮かべ問い掛けてくる男に、なめられているな、と思う。

「違います。……人を、捜しているだけです」

 やはり無用心だったかという焦燥が胸を駆けた。

 多勢に無勢というだけでも不利であるのに、何より場所が悪い。

 この狭い道では満足に剣を振り回せるか如何か、微妙だった。

 其れでもその内心の焦りを気取らせないように強気に言い放つと、男達は可笑しそうに口笛を鳴らしたり、私を囃し立てたりした。

「強気な女も悪くない。……嗚呼、それに良さそうな剣、持ってんじゃねぇか」

 其れまでゴロツキの風情しか醸し出していなかったというのに、剣を見る目だけは違った。

 ――今正面に立つ男は、それなりの手練れだろう。

 他の奴らとは一線を敷いているようにも見える。恐らくは、この中ではリーダーだ。

 ……まずいかも。

 本能的にそう思い、後ずさりかけるが、後ろにも図体のでかい壁が居る。

 絶体絶命というヤツだろうかと苦笑を浮かべかけた時、リーダー格の男の肩をぽんと叩く人物が現れた。

「あっ!」

 その姿を見て思わず声が上がる。

 だって、その人は……。

「その子は知り合いでな。……見逃して欲しいんだがなぁ」

「ヒノエくんのお父さん!」

 男に対しては低く凄む様な言い方であったのに、私と視線が合うと、近所で知り合いに逢ったかの如くに気楽に片手を上げてくる。

 その光景に、状況は不利である筈なのに私は安堵してしまっていた。

「あぁん。何だこのおっさん」

 如何にも頭の程度の低そうな男が噛み付くように言葉を発すると、リーダー格の男が其れを止める。

「……ウチの頭との話し合いは無事終わったのか、ってぇことァ、この嬢ちゃんには手ェ出さねぇことが懸命だな。寧ろ此処からも出て行くことになるか……ま、しゃあねぇわ」

 制された意味も、男の言葉の意味も解らなかったのか、先程噛み付いてきた男が如何言う事かと問いただそうとする。

 其れを無視するわけではなかったが、仲間に撤退するように告げる姿に、私もぽかんとなってしまった。

 ヒノエくんのお父さんを見てみると、物分りの良いのは好ましいと言わんばかりに笑みを浮かべている。

 ……男達が消え去った後、私はぺこりとヒノエくんのお父さんに頭を下げた。

「あの、助けて下さって有難う御座います」

「いやいや。息子の……っと、まあ其れは兎も角、嬢ちゃんは如何して此処に?」

 言い掛けた言葉に少し首を捻り「息子の仲間だから」と言う台詞が続くのだろうと解釈した。

 状況を説明するのは少し恥ずかしい。

 何故なら危ないかもしれないからと追いかけた人に逆に助けられてしまったんだから。

「……ええと、ヒノエくんのお父さんが横道に逸れてくのを見て、……その、危ないって聞いてたから……気になって」

 笑われてしまうだろうかと言う恐れから少し語尾が消えかかってしまうけれど、そんなことは無かった。

 寧ろ、その心配を嬉しそうに笑って受け入れてくれる。

「心配かけてしまってすまねぇな。其れより、“ヒノエくんのお父さん”は止めて欲しいんだが」

 思うと確かに、彼には彼の名前があって、それを知っているのに呼ばないのはおかしな話。

 でも、私だって名前で呼ばれていない。

「湛快さん。……私だって、嬢ちゃん、って名前じゃないですよ」

 責めるつもりはなかったけれど、何となく名前で呼ばれたくてそんな言葉が飛び出した。

 すると湛快さんは、悪かったと言う風に笑って、呼んでくれる。

「望美」

 ――とくん。と

 何だか変な胸のおとがした。

 


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