――視線が絡み合った、その最初の瞬間。

 私は“失っていた何か”を見つけたように、様々な感情が交錯した。

 嬉しかった。

 怖かった。

 手を伸ばしたかった。

 ……懐かしくて、目を、逸らせなかった――。



「何でなのかな、って、思ったけど、それも当然だったんだね……」

 私と彼は、あの時……茶吉尼天の中に囚われた時、確かにひとつに溶け掛けていた。

 救ってくれたのは、彼。

 密やかに……可哀想だと思っていた人。

 どうして助けてくれたのか、なんて、本当は如何でも良かった。

 今、微かに思う。

 私は彼の事が、嫌いではなかったのだろうと。

 否、寧ろ――

「救ってあげたかったのかもしれない」

 声に出して言ってみると、矢張りそうだったのだという気持ちが強くなる。

 幻影となり、私達の世界を半端に彷徨わせてしまった罪悪感もある。

 ……将臣くんの思いを、感じた事もある。

 けれど、其れ以上に……何より私が望んでいた。

「ねえ、今、救われてる?」

 緩やかに声に出してみる。

 直ぐに行くと言った貴方、……直ぐって、何時?

 あれから幾日も過ぎて、其れでも貴方の姿は見えない。

 迷宮と共に消えてしまったとは信じたくは無いが、姿が見えない分だけ不安になる。

 そっと瞼を閉じると、初めて結晶を渡された時の事が思い出される。

 そなたが失ったものだと差し出されたもの。

 其れは今、私の胸の内に還った。

 ――でも、本当は。

 そんなものよりも、ずうっとずうっと心に刻み付けられたものがある。

 不思議な感覚を覚えた。

 貴方と目が合った瞬間、目を逸らせなくなった。

 直ぐに瞼に思い浮かべることが出来る程に、鮮明に焼きついた。

 ……この気持ちは……。

「お別れくらい、言っていきなさいよ」

 苛立ち混じりに呟いてみても、言葉は虚しく胡散するだけ。

 それが悔しくて、哀しくて、思わず強く唇を噛み締めた。

 だから、直ぐには気付かなかった。

 視線を上げれば直ぐ其処に、今まで思い描いていた人物が立っていると言う事に――。

「龍神の神子」

「……え?」

 幻聴かとすら思った。

 あの目をもう一度見たいと思った心が見せた幻影かと、思った。

 けれど、違う。

 今、目の前に立っている彼は紛うことない、――清盛、本人だった。

「――忘れ物を、そなたに」

 消えかかる程に姿が薄い、言いながら伸ばした掌の結晶だけがやけに鮮明だ。

「……無事だったんなら、如何して……!」

 結晶なんて、如何でも良かった。

 如何して、直ぐに姿を現さなかったのか。

 其れを問い質す事の方が先決だった。

 憤る姿に動じる事もなく、ゆったりと首を傾げるようにして言葉を紡ぎ出した。

「動く事が出来ずに居た、としか言いようがない」

 物腰そのものは柔らかだというのに、言葉だけはやけにきっぱりとしている。

 そう言い切られてしまうと其れ以上聞くことは叶わないではないか。

 其れを解ってるように、清盛はもう一度、結晶を差し出した。

「迷宮に残されていた、最後の結晶……これも、そなたのものだろう?」

 これを手渡すためだけに、最期に現れたのだと言うように、彼は笑った。

 胸の中に、此れ以上欠けた思い出があるとは思えなかった。

 ……何故だか、いらないとさえ思った。

 必要の無い記憶だと、心の何処かでそう認識していた。

 受け取らないままでいると、時間が残り少ないのだろう、清盛が結晶を持ったまま唇を開いた。

「龍神の神子、我はそなたに感謝している。迷宮が壊れる時、我が無事であると良いと、願ってくれたのだろう?
 ……その祈りが、我を救ってくれた。――我は、もう、彷徨わずに済む。平家の生き残りを――時子達を、見守って行ける」

 鮮やかに、笑った――。

 ずくん、と胸に痛みが走り、今、酷く傷付いているのだと悟った。

 知っていた、解っていた。

 生前の清盛は、子どもの姿でも、今目の前の、この青年の姿でも無く、歳を重ねていた人物なのだと。

 ……愛する者だって、居たと言うことを。

 不意に目が合って、逸らせなくなるような、この淡い気持ちは間違いなのだと告げられた気がした。

 口に出す事すら、間違っているのだと……。

「……龍神の神子、時間だ」

 終わりなのだと宣告されて、思わず視線を上げた。

 其処には先程よりも随分と姿が薄れてしまった彼が居る。

 視線が合うと、柔らかく、清盛は笑んだ。

 ――そうして。

 まるで風に吹き飛ばされるかのように、……彼の姿は、風に溶けた。

 跡には、差し出されていた哀しい色の結晶を残して。

 私が其れを手に取ろうと屈んだのは、どれ程の後のことだったのか解らない。

 不思議と心は平淡で、ただ、何度も何度も彼の目を思い出していた。

「こんなもの、いらないのに」

 こんな結晶よりも、彼に存在して貰っていた方が何倍も良かった。

 水晶に手を伸ばし、触れた瞬間に、記憶が はじけた。

「―――ッゥ!!」

 記憶の奔流に、涙が瞳から流れ出た。

 堪えきれなくなったように、両手で頭を押さえ込み、身を縮こまらせる。

 これは、この、記憶は……。



 平清盛を 強く憎んだ 記憶


 思い出したくなんてなかった。

 憎みたくなんて、なかった。

 なのに。

 よりにもよって、貴方が……。

「どうして……ッ、どうして、貴方が……この記憶を持ってくるのよぉッ……!」

 これを、貴方が自ら手渡すの。

 思いは間違い。

 其れを抱え続けてしまうよりは憎めと、そう言うのだろうか。

 ――何て、残酷なひと。

 割り切れる事なんて、直ぐに出来る筈もなくて。

 淡い思いと激しい憎しみに引き裂かれそうになった心臓を押さえ、抑えきれぬ涙を只管流すことしか出来なかった――。




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