「弁慶さんは、帰って下さい」

 小さく肩を震わせながら君が紡いだ言葉は、とても哀しく耳に届いた。



 明日は皆が元の世界に戻る日で。

 話があると夜に呼び出され、二人で海沿いの道を歩く。

 僕の目の前にある立ち止まった君の背中が、何時もよりうんと小さく見えた。

「――君は、僕が傍に居ると迷惑、ですか?」

「いいえっ! ……いいえ、そうじゃ、ありません……」

 勢い良く首を振り、否定をしてみせている。

 だったら何故――と。

 そう聞くには、僕はわかりすぎていたのかもしれない。

 君の気持ちが…君の、考えが。

「僕が、君と離れるのが嫌だと言っても?」

 卑怯な言い方だとはわかっている。

 君の心を傷つけるだけで、君はきっと、意見を変えない。

 ……哀しい程に他者に慈悲深くて、切ないほどに強固な意志。

「……私、だって……本当は……」

 君は残酷。

 そんな風に涙を堪えた声で、振り返る事も出来ない様子で言葉を止められてしまったら、
 僕はもう何も言えなくなってしまう。

「君はほんとうに、いけない人ですね……」

 本当は抱きしめたかった。

 けれどこの腕に掻き抱いてしまったら、もう二度と離せない。

 それでも、最後の悪あがきのように夜風にふうわりと揺れる君の髪を一房、手に取った。

 気付かれるかとも思ったけれど、君は気付かずに、ただ、ごめんなさい、と俯いたまま。

 謝らないで下さい、なんて、言える程僕は御人好しにはなれなかった。

「――九郎達の事が、心配なのでしょう?」

 月明かりに照らされた君の髪は透き通った綺麗な桜色。

 くるりと指に絡めると少しだけ色が濃くなって、それもまた綺麗。

 あのまま若し平家を討ち取ることが出来たとして、恐らく九郎は生かされはしないだろう。

 否、和議が結ばれた今でも如何だろうか。

 茶吉尼天が消滅したとは言え、景時の立場も微妙なものだから。

 君はそれら全てを承知しているのだろう。

 そして、その上で二人で生きることよりも、皆に生きて欲しいと、願ったのだと。

「こんな形で君と、離れる事になるなんて……」

 君が嗚咽を堪えているのは良く伝わってくる。

 彼らを決して殺させはしません、と…

 君の髪を持ち上げ、誓いの意味を込め唇を押し当てた。

 なかないで、そして、どうか僕をわすれないでください。

 手を緩めるとするりと君の髪は僕の手を離れてしまった。

 僕の手には何の名残も残されない。

 残ったのは甘く苦い記憶だけ。

「……体が冷えてしまいましたね。……帰りましょうか」

 何も言わず、ただ頷いてみせる君。

 愛しいだなんてもう口に出してはいけない。

 そばに居られる未来が存在するだなんてもう夢を見てはならない。

 どんな御託も、もう何の意味もなさない。

 二人の未来が重なり合うことは、もう二度とないのだから。

 僕は君の最後の願いを聞き、尽力をつくし、そして果てるのだろう。

 君はこの世界で君の幸せを掴み取るのだろう。

 その時、君の隣に誰が寄り添っているのだろうか?

 僕以外の誰が、君を愛しいと言うのだろう。

 ……僕以上に君を想う人だなんて、いる筈がないのに。



 帰り道、僕は一度も君に触れなかったし、君の方すら見なかった。

 いっそ殺してやりたいと思う程に君の事を想っていたから、ただ、前だけを見詰めていた。


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