「晩御飯用意して待ってるから、早く帰ってきてね」

 ――二人で暮らし始めての、最初の朝。

 私はそう言って銀を送り出そうとした。

「……いえ、早く帰って来ますので、一緒に作りましょう。そうした方がきっと何倍も美味しいですよ」

 優しく微笑む銀は少し何か考える素振りをした後にそう言った。

 仕事から疲れて帰ってくる筈なのに、態々私の為にそんなことを言ってくれる。

「でも、御腹空かせて帰って来るでしょ? やっぱり直ぐ食べれた方が良いじゃない」

 とても魅力的な誘いではあったけれど、少しは奥さんらしいことをしてあげたくって。

 けれども彼は、少しだけ寂しそうに小首を傾げ、ゆっくりと唇を開いてみせた。

「貴方と共に何かをする時間を私から奪わないで下さい。……其れに、二人で楽しく作ったものを食べた方が何倍も美味しく感じると思うのですが……、そう思ったのは、私だけなのでしょうか?」

 銀は“一緒に”何かをすると言う行為がとても好きだ。

 私一人で出来る事にも必ず手を貸してくれようとするし、銀がやっていることを私が手伝おうとしたら、やんわりと断わられる場合もあるけれど殆ど嬉しそうに微笑んでくれる。

 確かに、私が先にご飯を作って待っているというのは銀にしてみると一緒に出来る行動が減って、少し寂しいのかもしれない。

 ちらりと銀の顔を伺って見ると、如何ですか、と問うように真っ直ぐに私の顔を見詰めていた。

 その瞳を見ていると何だかいやだとは言えない気分になって……元々悪くないと思って居たものだから、私はつい、頷いてしまっていた。

 すると途端嬉しそうに目を細め、有難う御座います。と銀は礼を告げる。

 其れを言うのは私の方だと思いながらも銀がこうやって笑ってくれるならそれでも良いかと思う私は、結構重症なんだと思わずにはいられない。

「うん。それじゃあ待ってるから。行ってらっしゃい、銀」

 ひらひらと手を振ると、銀は一旦頷きかけ、ふと思い出したように上体を屈めて見せた。

「――?」

「新婚、というものは新妻が夫に“行ってらっしゃいのキス”をするものなのでしょう?」

 実は密かに憧れていたんです、と事も無げに銀は言ってのけた。

 朝っぱらから一体何を言って居るのかと思うものの、確かに、そういう風習がある所はありそうだ。

 厭なわけじゃないけれど、とても恥ずかしい。

 其れでも銀を顔を見てみれば、憧れていた、と言うのが嘘ではないような気がした。

「うぅ……」

 一体何時の間にこんな知識を得たのか聞いて見たい衝動に駆られながらも、何となく聞き難い。

 一向に諦める気配を見せない銀に覚悟を決め、素早く屈んだ銀の頬に口付けた。

「有難う御座います」

 其れでも十分満足してくれたようで、銀は私の頬に軽いキスを返すとすっと背筋を伸ばし、行ってきますの言葉と共に玄関を出て行った。

 恐らく紅くなっているだろう頬を押さえると、熱くなっていることが解る。

 此の分だと“お帰りなさいのキス”もするのだろうか?

 嬉しいような恥ずかしいような気持ちになりながら、私は一先ず頭を切り替え、銀と共に作る夕食の事を考え始めた。

 晩御飯は何を一緒に作ろう?

 ――“一緒に”という響きのよい言葉を頭の中で何度もリピートしながら、私は今晩の献立を考え始めたのだった。



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