5月27日、土曜日。
敦盛さんの誕生日が日曜日という廻り合わせに密やかに感謝をしながら午後から揚々と彼の部屋へと向かった。
何時もよりも大きな鞄。
その中には午前中に悪戦苦闘して焼いたケーキがある。
見た目は少し悪いけれど、味の方は美味しく出来たと思う。
約束なんてしていないから、いきなり押し掛ける形になるけれど、きっと彼は部屋に居るだろう。
部屋に上がらせて貰ったら、敦盛さんの誕生日を一緒に迎えたいんですと言い張って、帰った方が良いと勧められても傍に居よう。
そして、日付が変わる瞬間にケーキを渡して、おめでとうと伝えるのだ。
考えるだけで顔中に笑みが広がり、スキップしたくなる衝動を堪えながら敦盛さんに会いに行く。
――しかし現実は、私の予想とは少し……いや、大分違っていた。
「……誕生日……?」
「はい。そうです。28日って敦盛さんのお誕生日でしょう?だから、祝いたいなあって」
相変わらず片付いた敦盛さんの部屋。
其れが彼の性格を表しているようで、気持ちが落ち着いた。
約束もなしに来たというのに快く受け入れてくれた彼に、気持ちが更に弾みソファーに腰掛けた時点で誕生日の話を切り出した。
「……其れは……。……遠慮しても、良い、だろうか……?」
躊躇いがちに紡がれた其れは、紛れもない拒絶の言葉。
その時の表情がとても哀しそうで、寂しそうで……。
とても“誕生日を祝う”だなんて、出来ない気がした。
迷宮が消え、漸く何の差し障りも無く傍に居てもらえるようになったのに、誕生日も満足に祝ってあげることができない。
自分が無力だということを思い知らされて、私も知らず知らずに唇を噤んでしまっていた。
「神子、すまない……。その、わざわざ私などの為に祝ってくれようとしたのに……」
気遣わしげに言われ、私が慰められて如何するのかと其処で漸く冷静になった。
「いいえ、私の方こそ……敦盛さんの気持ちも考えないで、いきなりこんなこと言い出しちゃって……ごめんなさい」
5月28日が彼の誕生日だと聞いて、想いを通じ合わせているから、だなんて思いあがって。
だから一緒に彼の誕生日を祝うことが最良なのだと勘違いした。
――現に、敦盛さんは芳しい顔をしなかったと言うのに。
「神子が謝る必要は無い」
敦盛さんはそう言ってくれたけど、私は自分が情けなくて、来たばかりだというのに挨拶もそこそこに逃げ帰るように帰路へとついたのだった。
「……ケーキ、無駄になっちゃったな……」
自分の部屋に戻ると、綺麗にラッピングした箱を取り出し複雑な心境でその箱を見た。
此れを開ける時は、幸せいっぱいな気分だと信じていたのに、今の気持ちは沈んでいる。
「食べて貰いたかったな……」
しゅるりとリボンを解き、箱の中に閉じ込められていたケーキを解放してあげた。
やっぱり見た目は良くなかったけれど、それでも、一生懸命な感じが十分に伝わって来る。
「食べてあげないと、可哀想だよね」
本当に食べてもらいたかった人にはあげられないけど、其れでもこのまま捨ててしまうのは、あんなに一生懸命作っていた自分が可哀想だから。
全部、食べてあげよう。
無神経で、彼の気持ちを考えずに気持ちを押し付けようとした今日の自分を。
一人で食べるには、多すぎる量だったけれど、詰め込むようにして口の中に放り込んで行く。
味見した時は確かに甘かったケーキ。
それが今食べてみると不思議と味がしない。
砂糖が固まって入ってしまったのだろうか?
……多分、そうじゃない。
「……おいしくないや」
甘くないと感じるのは、自分の所為。
敦盛さんに拒絶されたというショックの所為。
「……おいしくないよ」
作業的に口に詰め込んだスポンジは、胸につかえて苦しかった。
そうしている内に、何だか気分も悪くなってきて、ゴシ、と口許を拭うとベッドに倒れこむ。
目を閉じると、熱いものが目尻を伝い、枕に染み込んだような気がしたが、もう、目を開ける気にはならなかった――。
次に目を開けた時、部屋の中は真っ暗で、目を閉じたまま眠りに落ちてしまったのかとぼんやりとした頭で考えた。
緩く頭を振り、携帯を取って時刻を確認するともう0時を回っている。
「……敦盛さんからの着信、無いし……」
心のどこかで期待していた事は脆くも崩れ去り、静寂だけが部屋に訪れる。
勝手をしたのはこっちで、彼がフォローに回ることはないのだと解ってはいた。
解ってはいたけれど、ほんの少し寂しさが込み上げる。
「嗚呼、でも」
敦盛さんのことだから、こんな風に帰った私に自分から連絡を入れるだなんて出来ないのかもしれない。
何時も自分を下に見て、私に気を使う彼だからこそ。
「…………」
込み上げてくる愛しさは、何なのだろう。
指が勝手に携帯を弄り、呼び出し音が小さく鳴る。
後3コールで出なければ、切ろう。
2コール程した後に、自分にそう言い聞かせたが、1コール半程で、プツ、と音が鳴り、彼が通話ボタンを押したのが知れる。
『……神子?』
少し遠い電話の声。
心細げに聞こえるのは、私の気の所為?
「お誕生日、おめでとう……ぐらいは、言っても良いですか?」
切り出した言葉に、敦盛さんがどんな表情をしていたのかは見えなかったけれど、此れだけは言いたかった。
『…すまない』
おめでとう、って言っているのに何故謝るのか。
其の声は何処か苦しそうで、落ち着かない。
「敦盛さん……如何して、お誕生日を祝われるの、厭なんですか……?」
これ以上会話を続けても、無意味だというのに気付けば私はそんなことを問いかけていた。
少しの逡巡の後、耳を澄まさないと聞こえないような小さな声が漏れ聞こえてくる。
『私は一度、死んでいるのだから、そんな資格は……』
この人は、今更何を言っているのだろう。
「あります」
敦盛さんの言葉を遮るように、私は言った。
なんだ、気にしていたことは、それだったのか。
「“私”が、敦盛さんのお誕生日を祝いたいんです。貴方が生まれて来た日に違い無いんですから。敦盛さんは少しも悪く無いんですから。……それじゃ、いけませんか?」
今までの何かを恐れていた気分は、何処かに吹き飛んでしまった。
ただ、敦盛さんにそんな風に言って欲しくなかったから。
そんな私の意志が伝わったのか、暫しの沈黙が落ちた後に、小さく『有難う』と言う声が聞こえた。
自分と言う存在を未だ完全には受け入れきれていない彼だからこそ、守りたいと思ってしまうのはおかしなことだろうか?
「……誕生日くらい、我儘言って下さいね? 何か、して欲しい事とか無いですか?」
本当ならば直接聞きたいけれど、今、この時を逃したら言ってくれないかもしれないから。
直ぐに返事が来る事はなくて、困惑しているのだろうと予測をしながら私は促すこともせずに言葉を待っていた。
どれ位経った頃だったか、遠慮がちな声が、微かに耳に入って来る。
『……厚かましいと願いかもしれないが……若し、良かったら……私の誕生日を祝ってくれないだろうか……?』
厚かましいどころか、随分と可愛らしい願いに感じて、思わず顔が綻んだ。
「勿論です。……私は最初からそのつもりでしたよ?」
そう言った途端、電話越しながらも安堵したような雰囲気が明確に伝わって来た。
「…お誕生日、おめでとうございます。敦盛さん」
嗚呼、そう言えば。
彼にプレゼントする筈だったケーキはもう食べてしまったんだった。
何か変わりになるものを用意しなくては。
何が欲しい? って、そう聞くのも悪くないけれど、彼は何も要らないと言うだろうから敢えて聞かずにいよう。
どんな些細なものでも、きっと彼は少しはにかんだように微笑んでくれるだろう。
でも、其の中でも一番喜んでくれるものを選びたい。
だからそれは、日が昇って、彼に会うまでの宿題。
ほんわりとした気持ちを胸に抱きながら、私は名残を惜しむようにゆっくりと、電話を切ったのだった――。
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