ほんの些細な会話から、花や木などに興味を持ち出した神子は、
 最近は何時も私に様々な名称を、聞いてくる――。



「敦盛さん、あれは何て言うんですか?」

 落葉高木を指差し乍、神子は興味深そうにそれの名前を問うて来た。

「……あれは、(えんじゅ)、ではないだろうか」

「えんじゅ……」

 反芻するように口にして、ゆっくりとその木を見上げた。

「槐木には真実を選り分けてくれる力があると言われ、国の吉凶を予告するも言われていたように記憶している」

 こうやって神子が何かを問うてくる時は、大抵どんな逸話があるのか、なども聞きたがる。

 だから、聞かれても居ないのに、ゆっくりと槐に纏わる話を口にするのだ。

 ……神子は、このような私の話を厭うどころか、何時も興味深そうな顔をして聞いてくれる。

 その瞳があまりに真っ直ぐに私を見詰めるものだから、此方が気恥ずかしくなって、視線は常に神子にと向ける事が出来ない。

「この木は薬用植物で…嗚呼、恐らく弁慶の方が詳しいと思うのだが……」

 嘘の知識は神子に伝える筈もないが、より詳しい話を求めるのならばそれが良い。

 だのに、神子は首を横に振り、敦盛さんが話してください。と云った。

「それに私、どんな事に効く――、とか聞いてもわかりませんから」

 舌を出すようにして笑いながら、専門的なことではない、この木に関する物語が聞きたいのだと察知した。

「故事に、こういったものがある。唐の男だったか……、仕官せずに、広陵という土地に住んでいたという。ある日、邸宅の南にある古い槐樹の下で酔い、眠ったとされている」

 何時の頃だったか、何かに載っていた話。

 記憶の糸を辿りながらゆっくりと話を紡いで行く。

「夢の中に二人の使者が現れ、槐安国王迎えている、と言い、男は使者に従い穴の中に入った。『大槐安国』と立て札に書かれていた。国王は、『南柯郡の政治が順調でないので、太守になって治めてほしい』と言った。男は国王の娘と結婚し、南柯郡の太守となり、二十年の栄華の時を過ごした」

 柔らかな草を踏み締め、その木の方へと近づいて行く。

 地面には黄色い花が散っていて、見上げると枝には実が実っている。

「夢から覚めた男が槐樹の樹の下をよく見ると二つの穴があり、一つの穴には大きな蟻がいた。その蟻こそが大槐安国の国王だった。もう一つの穴は、真っ直ぐ南の枝へと通じていた。それは男が太守となって治めていた南柯郡の地形と同じであった。……この故事から、南柯の夢と言う故事が生まれた。……南柯の夢とは、儚いことの喩えだ」

 其れまで大人しく聞いていた神子が、不意に小首を傾げて唇を開いた。

「南柯って、何ですか?」

「嗚呼、南側にさし出た枝のことを言う」

 へぇ。と感嘆の声を漏らす神子。

 少しは役に立てただろうかと小さく安堵の息を漏らす。

 自分で話した物語を、頭の中でもう一度回想して、ぼんやりと思考を巡らせた。

 儚いものの喩え――。

 儚いといえば聞こえは良いが、言い換えればそれは、不安定な存在でしかないということ。

 そして、それは――……まるで、自分のことだ。

 存在してはならない、化け物。

 ぎり、と木の幹に爪を立て、歯を食いしばる。

 そんな私の背後から、神子の柔らかな声が掛かった。

「敦盛さん有難う御座います。色々お話聞けて、凄く楽しいです。またお願いしても良いですか?」

 ゆっくりと振り向くと、上目遣いをするように此方を窺う少女が居る。

 その願いを拒否する事など、出来る筈もない。

 考える前に、自然に首を縦に振っていたのだった。

 ……嬉しそうに笑う、神子の笑顔が眩しくて、その神子の願いを叶える為に私はもう少し此処に存在してなくてはならないな、と思った。

 ……嗚呼、そうか。

 ……私よりも、神子の方が槐に近しいのかもしれない。

 こんな風に私を存命させ続けてくれるのだから。

 槐の花言葉は、――延命。

 私は今、神子に生かされている……。



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