妹
「兄上は意気地なしね」
察しの良すぎる妹の言葉に、心当たりが在る故に思わず苦笑してしまいそうになる。
それでも咄嗟に嘘を吐こうとしてしまう自分に呆れながらも、書物を閉じて妹に向き直る。
「突然部屋にやってきたかと思えば、どうしたんだい朔?」
表情は至って平静。
意味が解らないと言う顔を作るのは得意だ。
けれども今回は朔も誤魔化されてはくれないらしい。
とぼけないで、と眉尻をきりりと吊り上げてじっと此方を見据えてくる。
「望美のことよ」
何が言いたいのかなどと、問い掛けずとも解る。
親友思いの妹は、何よりも対の幸せを願っている。
――己の思い人である、少女の。
「……望美ちゃんのこと?」
白々しいくらいにこの口は解らないと言う風を装う。
――煮え切らない自分の態度に、苛立ちを覚えているのだろう。
白龍の神子である少女は、自分のことが好きでいてくれている。
きっと、思い違いではないではない。
だからこそ、朔もこうしてわざわざその名を挙げるのだ。
……己も、少女の事を想っていると知っている故に。
「兄上は、どうして」
きゅ、と胸元を握る妹の姿は辛そうで、そんな表情を自分がさせているのだろうと考えると心が痛む。
「どうして、……望美に自分の気持ちを打ち明けないの」
望美はきっとそれを待っているのに、と。
まるで自分のことであるかのように朔は言う。
自分の身の上を考えれば易々と想いを告げられぬ。
告げても、きっと彼女を傷つけるだけなのだと思う。
……しかし目の前の妹はそんな己の心を知らない。
この、道化者の心の内なぞ、解る筈もない。
――だけれど、少女に自分の気持ちを告げるのを躊躇うのは、他にも理由があった。
その事を察する妹は、矢張り勘が良いのだと思う。
その証拠に、まるで自分の所為であるかのように、苦しそうに朔は言う。
「兄上は私に気を遣いすぎているわ」
段々と、妹の声が小さく震え出す。
違うよ、と否定したとしても、其れよりも強い否定で返される事は目に見えていたから黙り込まずにはいられなかった。
「私と黒龍と……、兄上と、望美のことは別。私は、二人に幸せになって欲しい」
――愛しい人物を失った妹の目の前で、そんな風に振る舞えと言うのだろうか。
後ろめたいと言う訳でも、申し訳無いという気持ちでもない。
ただ、目の前の妹がこれ以上辛い思いをするのは見たくないだけだ。
万が一、自分とあの少女が上手く行ったとすると、龍神に選ばれた、似たような境遇の娘でありながら朔があまりにも不憫だ。
此の妹は「良かったわね」と微笑み乍、哀しい色を其の瞳に浮かべるのではないだろうか。
「朔、それは……」
「お願い、兄上。……本当に、私の為を思ってくれているのなら。……、二人で、笑っていて」
永遠に続くように感じる幸せが、この世にはあるのだと信じさせて欲しい。
切なる願いであるかのように、泣き笑いのような表情で朔は語る。
――自分は思い違いをしていたのかもしれないと、今、気付いた。
朔はもう厭なのだ。
誰かが苦しい思いをしているのを見るのは。
他人の幸せを、自分の幸せに還元するのは無理かもしれない。
矢張り他人の幸せを見て辛いと感じる事もあるかもしれない。
……そうだとしても、此の心優しい妹は、親友の幸せを願うのだろう。
「……朔。その時は、オレ達と一緒に、朔も笑ってなくっちゃ駄目なんだよ」
そっと、静かに語りかけてみる。
一瞬驚いたような表情をした朔であったけれど、次の瞬間には少し寂しげな顔で、笑った。
その笑顔が哀しくて、……それ以上上手く慰める事の出来ない自分を情けないと思った。
――しっかりしていて、優しくて強がりで……、幸せであった時期に何より大事であった人を失ってしまった、不遇な妹。
大切な妹の、誰よりも愛しい龍が戻ってくれば良いと、今この瞬間にも心より願う。
遠い昔のように妹を抱き締めて慰める役目はもう、自分ではないのだと、知っていた。
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