彼のために決めたこと



 彼はとてもまっすぐな人で。

 私はそれがとても好きだった。

 時空を越える度に彼のまっすぐさが目に付いた。

 そしてそれが次第に眩しいとすら感じるようになってしまう。

 以前はそんなことなんて感じずに、負けじと言葉を返していたのに。

 そう思っていたら、時空を越えた折、弁慶さんに言われた事がある。

 ――僕は君の事を九郎と同じ部類の人間だと思っていました。 と。

 その言葉で気付いてしまった。

 私はもうまっすぐじゃなくなってしまったと云うことに……。





 突風が身を襲い、長く伸びた髪が視界を塞ごうとする。

 まるで髪の毛が攫われて行ってしまうような感覚に目を細め乍、私は視界の邪魔をする髪を押えた。

「凄い風……」

 ――今日、九郎さんは官位を受け取る事を決めた。

 私はその結末を知っていながら、言葉を挟む事は出来なかった。

 此の先の運命に居る、九郎さんからの書状を持っていたというのに。

 もう押えなくとも髪は広がらず、私は服の上からそっと書状を撫でた。

 ……私は臆病だった。

 彼が此の書状を見て兄が自分を切り捨てたのだと知り、傷つくのが怖かった。

 ……その事によって、真っ直ぐでなくなってしまうかもしれない事実が、怖かった。

 綺麗なままで居て欲しいだなんて私の我侭にしか過ぎないけど、それでも、……彼の志が行き先を見失ってしまうのが厭だったのだ。

 もし、心が汚れてしまったら、彼の真っ白すぎる心は

「……綺麗には戻りきれないんだ、きっと」

「何がだ?」

 背後より掛かった声に、書状を撫でていた手を降ろし振り返る。

 声を聞いて既に解っていた事だけれど、其処には今一番会いたくて、一番、会いたくなかった人が立っていた。

「何だと思いますか?」

 私の此の答えに、九郎さんは不満を感じているようだった。

 ムッ、と眉間に皺が寄っている。

「聞いているのは俺だ」

 随分とらしい言葉だと思わず笑ってしまいそうになったけれど、それはより彼を不機嫌にさせるだろうから何とか押し殺した。

「大したことじゃないんですよ」

 言ってみたところで、「大したことでないのなら構わないだろう」という顔をされるだけ。

 其れが予想通りで、私も少なからず九郎さんの性格が掴めて来たんだなと、感慨深い。

「……汚れちゃったら、綺麗にはならないんだろうなあ、って」

 私の言葉に九郎さんは少し怪訝そうな顔をしてから口を開いた。

「洗濯物の話か? だったら洗えば良いだろう」

 そういう事じゃなくて、そう言いかけて言葉を飲み込む。

 否定したところで、だったら何だと聞かれても、きっと答えられないから。

「? どうした?」

 唇を開いて音を発することなく閉じた私を不思議そうに九郎さんは見遣る。

 正視することができなくて、私は僅か視線を下に落とした。

「……私は」

自分の声が酷く掠れて聞こえる。

「私、は」

 考えも纏まらぬままに舌を滑らせる。

 ――思うままに音にしてしまうからこそ、本当はそれが、本音なのかもしれない。

「綺麗なままが、いいんです。……だって、きっと、一度汚れてしまったらもう完全には元には戻らないから」

 彼が傷つく姿なんて、私は絶対に見たくない。

 こう会話している最中ですらその思いはどんどんと強くなってきて、溢れ出しそうだ。

「――だったら、どうするんだ」

 汚れてしまったら捨てるのか、と。

 そう問いたげに九郎さんは此方に視線を送っている。

 其の瞬間、私は気付いた。

 これからの私が成すべきこと。成したいこと。

 ――私は此の人の心がずっと曇ることの無いように、どんなことでもしよう。

 彼が信じるものだけを見てまっすぐに進んで行けるように、……どんなことでも。

 ……私はもう、まっすぐな心なんて、持ってはいないから。

「汚させないように、するんですよ」

 言っている意味が解らないと、疑問を抱いているような九郎さんの顔に視線を移し、私はこの時空に来てから初めて、心からの笑みを浮かべた――。





 ――明朝、望美は源頼朝の元を訪れ、とある取引を持ちかける。

 頼朝の指示に、此より忠実に従う、その見返りとして――……







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