桃の花の色、蕃紅花の色



 夜の帳が落ちるのが早い。

 現代のような娯楽の類が無い世界では、夜と言うのは英気を養う為に存在している。

 ――緊迫した空気が其処彼処に溢れているのは戦場と言う状況故か。

「……ノゾミ?」

 考え事に意識を囚われていたのか、呼びかけによって意識がハッと引き戻される。

 慣れない戦場に疲れてしまったのでは、と心配の色をありありと浮かばせて朔がじっと視線を向けていた。

 其れに大丈夫だよと言う風に笑って話題を変えるように口を開く。

「もう少し人が寝静まったら移動するから」

 宣言するように口にすれば、朔は表情を曇らせた。

 ――戦場に女人など、数える程にしかいない。

 性別を偽っている為に、自然寝床は同じ場所に追いやられてしまう。

 幾ら周りが女であろうと信じていようとも、極一部の人間は知っているのだ。

 自分が男であることを意識し始めてから、軽はずみな行動を、朔相手にしたくないと思った。

 だから、同じ場所で寝る、だなんて出来るだけ避けたい行為。

「……でも、ノゾミ。何処に寝るの? 他は男の人達の場所しかないじゃない。私は構わないから……」

 朔の言葉に思わず苦笑が顔に広がりそうになるのを辛うじて堪える。

 彼女は純然たる好意で言ってくれているのだ。

 ――こっちが構うんだけどな。

 其の一言は、自分をまるで男として意識していない朔には言えなくて飲み込んだ。

「大丈夫、別に用意して貰ってるんだ」

 そう告げると、納得してくれたのか其れ以上朔が何かを言うわけではなかった。

 ただ此れは主観に過ぎないかもしれないが、――ほんの少し、朔が寂しそうな顔をしたように見えたから。

「……朔が寝るまでは、此処にいるよ」

 つい、口からそんな台詞が零れ落ちてしまっていた。

 しまったと思いすぐさま口を開こうとしたが、朔の安堵したような表情を見て思い止まった。

 ――不安でない筈がない。

 出逢ったのが戦場であった為につい思い違いをしそうになっていたが、朔は黒龍の神子と呼ばれているが、実際は心優しい女性なのだ。

 ……慣れぬ戦場で、親しい人も身近にいないまま取り残されそうになれば心細さを感じるのも当然のこと。

 其処まで配慮出来なかった自分に歯噛みしそうになる。

 何時も此方を気遣い心配をしてくれる朔。

 心細く思っていることを察した事に気付けば、朔は更に気を使ってしまうかもしれない。

 そんな危惧があったから、俺は何も気付かぬフリをして何気ない話題を振った。



「――それで……、朔?」

 換算してみると大した時間ではなかったのかもしれない。

 不意に、反応がなくなったことに気付き視線を其方に向けると、朔は眠りに落ちているようだった。

 気疲れもあるのだろう、安心しきったように眠る姿を見ると自然頬が緩んでくるのが解る。

 出来るだけ音を立てぬように立ち上がり、眠る朔の傍にある蜀台の火を消した。

 火ひとつ消すことで大分周囲は暗くなったが、其れでもまったく見えなくなると言う事はない。

 ふと視線を落とすと其処には朔の顔がある。

 長い睫が頬に蕃紅花(サフラン)色の影を落としている。

 ともすれば冷たい印象を与えかねない色も、何故だかそう思わせることはない。

 ――嗚呼、そうか。

 そっと手を伸ばし、彼女の頬に触れてみる。

 掌からじんわりと感じる熱は、彼女が今ここにいると言う証。

 薄く開いた唇は、ほんのりと桃色に色づいている。

 夜の色の前では本当に些細な色。

 だが、其れは何より優しい色をしているようだった。

「……おやすみ」

 そう口にしても、朔は一向に目を醒ます気配はない。

 そうなると途端に朔の寝顔を見詰め、こうして頬に触れている自分がとても気恥ずかしくて、慌てて身を翻す。

 ……頬が熱い。

 外に出ると月が朗々と輝いていて、火照った顔が他人に見えてしまうのではないかと思い、何だかすごくどきどきした。