お前に囁きたい言葉が沢山ある。

 …お前を愛でたい言葉が山ほどある。

 でも、何を言ったってお前は嬉しいって言ってくれたり、照れたりするだけでオレが本気だと言うことに気付きもしないんだろう。

 …そして、思い詰めた瞳であいつを見るんだろうな。




「…ノエ、ヒノエ!」

 思い耽っていた思考を無理矢理引き戻すような呼び声に、弾かれたように顔を上げた。

 目の前には書物を開き、呆れたような顔をした弁慶がいる。

「あ、ああ」

 気の抜けたような返事に弁慶はこれ見よがしに溜息を吐いてみせた。

「いきなり人の部屋に来たかと思えば僕を何も喋らず見てるだけなんて…熱でもあるんですか?」

「何が楽しくて野郎を見詰めなきゃいけないんだよ。考え事してただけで別に熱はない」

 わざとらしく心配そうな顔を作ってみせる辺りが信用ならない、と、そう考えながら速答する勢いで言い放つ。

 そして、出入口の柱に体重を預け腕組みをしたまま何気ない素振りで周囲を見渡した。

 ――此処は弁慶に貸されている部屋。

 望美が、何時も見つめている男の部屋。

「…何か用があって来たんじゃないんですか?」

 ゆったりとした所作で書物を閉じ、問い掛けてくる。

「大方の予想はついてんだろ?」

 軽い調子で問い掛けてみると厭くまでオレに言わせたいのか、何の事やら、と言った仕草をしている。

「相変わらずとぼけた事ぬかすぜ…。…アンタさ、何であんな目で見られてるんだよ」

 思えばあの眼はオレと出会った時から既にしていたものだった。

 様々な感情が混じった、それこそ恋慕に近しい眼差し。

「……僕が聞きたいくらいですよ」

 弁慶の返答は、予想していなかったものだった。

 トボけているわけじゃなく、本当に思って居る言葉らしいということは昔から知って居るだけに良く解る。

「望美さんが僕を見るあの視線は、出会った頃からなんですよ、ヒノエ」

 片付ける手を止めて視線を此方に投げかけてくる弁慶は、穏かながらも内実は複雑そうだった。

「僕と過ごした時間以上に僕を見てきたような目は、正直、少し居心地が悪いんです。僕がは望美さんを好ましく思って居るから尚更」

 曖昧な笑みを作り、言葉を重ねる姿は、好ましいと言ってはいるが明らかに望美に対して恋情を持っている事を匂わせている。

 ――あの視線に気付いていながら明らかな行動を起こさないのは、其処に込められた感情をはかりかねているからなのだろう。

 …そして躊躇うのは、本気だという証拠。

「アンタが全く姫君に興味が無いって事だったら姫君がオレによろめくのは直ぐだったんだろうにな」

「ふふ、まあどちらにせよ僕と望美さんは想い合ってるようですから、邪魔をしないで下さいね?」

 笑顔に隠された密やかな牽制に、負けじと唇の端を吊り上げ笑ってみせる。

「冗談じゃねぇ。アンタがもたもたしてる間に掻っ攫うに決まってんじゃん」

 言い放ったオレの言葉に笑いながら「それじゃあ僕は其れを全力で阻止しないと」と軽やかに言ってのけたのだった。

 其の言葉があながち冗談とも思えず、声を上げて笑ってしまった。

「…なぁ、あんたにとって俺はまだ、欲しいものを強請るガキか?」

 一頻笑い終えた後、ふ、と息を吐く時と同時に漏れた問い掛けは極々小さかった。

 それでも弁慶の耳に届いたらしく、一拍の間を置いて言葉が返される。

「いいえ…ヒノエはもう十分大人になったと僕は思いますよ。…望美さんの、おかげで」

 そう言って微笑んだ男の目は、とても優しいものだった。

 それは遠い昔に見たことがあるような気がする。

 何時の事だったのか明白には覚えてはいないが、とても懐かしく、温かな記憶。

 何だ、自分は思っていたよりもこの男が嫌いではないのだ、と…そう気付くと少しこそばゆい感じがした。

「……そりゃどーも。でもオレは未だガキで良いよ。……欲しいモンを欲しいって、口にしたいからね」

 言いたい事だけ言い、オレは弁慶が言葉を返す前に出て行こうとした。

 そんなオレの動きを既に解っていたのか、弁慶は仕方無さそうに笑みを浮かべただけだった。




 部屋を出ると日差しが眩しく照りつけてくる。

 先程姫君の話をしたからか、今無性に逢いたくなった。

「さて、姫君は何処にいらっしゃるのやら」

 誰かと出かけているとは思いたくはないが、その可能性も無くはない。

 取り合えずは望美の部屋へと向かおうと足を動かす。

 その途中何気なく中庭を見遣ると、春のようなやわらかな色が視界に飛び込んで来た。

 一瞬、花の色なのかと思う程に自然に溶け込んでいたから、直ぐには気付けなかった。

「望美」

 木に寄りかかるように腰を降ろし、ゆったりと瞼を閉じている。

「…眠ってんのか?」

 起こさぬように声を殺しながら近付き、傍まで辿り着くと顔を覗き込むよう膝を折った。

 無防備だとも、あどけないとも言える寝顔に愛しさが込み上げてくる。

 頬にかかる髪をそっと掬い上げ、横に払ってやった。

 その際指先に触れてしまった肌は柔らかく、もっと触れたいと思ってしまう程。

「なァ……これくらいは、許してくれよ」

 返事の返って来るはずのない懇願は風にさらわれ掻き消えて行く。

 そうして、風の悪戯なんだと言えてしまう程に軽く、眠り姫の目蓋に唇を寄せ、離した。

「…早く目を覚ましてくれよ、姫君」

 お前に囁きたい言葉が沢山ある。

 …お前を愛でたい言葉が山ほどある。

 ――嗚呼、でも本当はそうじゃない。そうじゃないんだ。

 大切なのはただ一つの言葉。

 伝えたいのは「好き」という飾り気のない真直ぐな言葉。

 お前が誰を見ていたって、オレはお前が好きだよ、と言いたい。

 …お前の目が覚めたら、おはようの言葉と共に口にしよう。

 だから早く夢から醒めて、現実に戻っておいで――俺の、姫君。




【back】


250を踏んでいただいた綾菜サンに捧げまし、た…!

駄文駄文!ヒノエの青少年日記っぽく仕上がったようなそうでないようなこれほのぼのと言うんでしょうか…!

もう本当にリンクまで貼っていただいたのにこの仕打ち…!

何やら平謝りしたい衝動に駆られておりますが兎に角キリリク有難う御座いました!(陳謝