人は変わって当たり前だと、成長して当たり前なのだと頭では理解していたつもりだった。

 自分も変わったのだから、望美だって変わっていたって当たり前だ。

 ――例え流れていた年月に差があったとしても。

 ………変わって当たり前だと、成長して、当たり前だと…理解していた、つもりだった。



盈つる事を欲せず


「ったく、何やってんだか…」

 良く晴れ渡った熊野の空を見上げながら小さく呟いた言葉は、誰に聞き取られる事もなく宙に舞った。

 山の空気は清々しいと言っても差し障り無いのに、待たせていた筈の二人の姿が見当たらない。

 望美が一人で何処かに行く事はないだろうから、恐らくは知盛が歩き出したのをあの
 軽やかに駆ける幼馴染が追って行ったのだろう。

 バラバラにならないように、と。どうせ、そんな事を考えて。

「手の掛かる奴が一人から二人に、か…。しょうがねぇな」

 結局は迎えに行く破目になるのかと軽く息を吐いてから、知盛が行きそうな場所を探すように歩き始める。

 暫く歩いていると、潮岬の方から金属が擦れる音が聞こえた気がした。

 まさか、二人が何者かに襲われているのだろうかという不安が頭を過ぎる。

 知盛がついているので大丈夫だとは思ったが、逸る気持ちは抑えられず、剣の柄を掴み、何時でも引き抜けるようにして音の方へと向かった。

 神経を集中させ、広い場所へと抜けた時、――信じられないものを見た。

 赤と呼ぶには色の薄すぎる薄桃色の髪が躍る。

 緩やかな反りを描く男の刃物の片方が淡い其の髪を掠め、はらりと散った。

 髪が散る事にも動じる事無く華奢な体は腰を落とし、剣の柄を逆手に持ち、下から斜め上へと薙ぐように剣を振るう。

 その動きに対処する男の動きは普段からは考えられぬ程に機敏で、己の剣を胸元に引き寄せ、薙ぎ払おうとして掛かった剣を受け止める。

 ガギッ、と剣と剣とが交わる独特の金属音が響いた。

 所詮は女の腕。

 力で押す事は不可能。

 そう判断してのことは、若しくは本能からか、細い足を一歩前へと出すようにして、地面を思い切り蹴り飛ばし後ろへと飛んだ。

 一瞬の出来事。

 全身をばねにするかのような跳躍は、男の剣の届かぬ所まで達した。

 一寸の息の乱れも無く、数多の死地を乗り越えて来た者の目を、少女と呼べる程の年恰好の女は持っている。

 ――アレハ、誰ダ。

 背筋が凍る程の気迫。

 戦地に立ち、仲間の為ならば何時散っても構わぬと言うような態度。

 あれは、本当に…

 本当に、自分が知って居る幼馴染なのだろうか…?

 ほっそりとした指先が、剣の柄を握り直す。

 そんな少女に対して男は、愉悦を堪えきれぬような歪な笑みを浮かべた。

 これはまるで、単なる殺し合いのようではないか。

 そう思った瞬間、我に返り咄嗟に声を張り上げた。

「おいッ!お前ら何やってんだッ!!」

 自分でも悲痛だと思う程の声が絞り出される。

 真っ先に反応したのは、自分の幼馴染の方だった。

 其れまでの戦意が嘘のように消え去り、何事も無かったかのように剣を下ろし、鞘へと戻す。

 それに遅れる事数秒、知盛も緩慢な動作で其れに倣った。

「……全く、良い所で邪魔してくれたな…」

 不満そうな声を出され、何が良い所だ、と言いたくなる。

 けれど言わなかったのは、望美が先に口を開いたからだ。

「最初からの約束でしょ。将臣くんが帰って来たら直ぐ止める、って。文句言わないでよ」

 約束を交わしていると言う事は、剣を交えたのは一方的なものではなく、合意の上であったという意味。

 怪我をしても可笑しくない切り合いを終えて直ぐなのに、こんな風に軽く笑みすら浮かべながら平然と会話をしている。

「……おい。知盛。ちょっと席外してくれねぇか?望美と話したい事があるんだ」

 自然と声が強張っている事が解った。

「――ご自由に、どうぞ。動いたら少し、疲れた。向こうで休んでいる」

 不思議そうにしている望美に比べ、知盛の承諾は早かった。

 本当に疲れているだけかもしれなかったが、直ぐに声の届かぬ所へと言ってくれるのは正直有難かった。


 二人きりになっても直ぐに口を開くことが出来ずにいた。

 自分で話があると云った癖に、いざこうなると何と切り出して良いのか解らない。

「将臣くん?…えっと、如何か…したの?」

 気遣わしげな声が聞こえる。

 そうやって問い掛けられて、やっと、一つの質問を投げ出す事が出来た。

「…何で、知盛と剣を合わせた?あのままだったらどちらか大怪我してたかもしんねぇじゃねぇか」

 少しだけ責めるような口調になってしまう。

 その事に望美は些か申し訳なさを感じたのか、眉尻を下げ、哀しそうな顔になった。

「知盛が、私と戦ってみたい、って言ったから…。……それに、私、もっと強くなりたかった、し…」

 強く?

 もう、十分じゃないか。

 怨霊を封印する力があって、ある程度の相手には負けない程の腕があって。

 其れでも尚、強さを求めている?

「私、皆を守りたい。誰にも悲しんで欲しくない。心だけの強さじゃ駄目。確かな力が必要なの」

 確かに言っている通り、
 剣の腕だけが命を守る手段になる事もある世の中だ。

 だが、如何してお前がそうまでして強くなろうとする?

 お前だって、守られる側になったって良いのに。

「…そんなに、強くなんてならなくて良い…」

 水が溢れ出るように、ただ、言葉が溢れてきた。

「将臣、くん…?」

 戸惑った瞳が、俺を見上げてくる。

「お前が、其処まで強くなる必要なんて、ねぇよ」

 何時からか、思っていた。

 自分が望美達より先にこの世界に流れ着いた意味。

「俺だって、強くなった」

 それはきっと、大きく、硬くなった手でこのか細い幼馴染を守る為。

「…お前が、あいつらを守りたいと思うのなら」

 そして、この幼馴染の願いを叶える為に。

「俺が、あいつらごとお前を守ってやるから」

 だから、そのままのお前で居て欲しい。

「俺にお前を守らせろ」

 もうそんな目をして戦わないでくれ。

 切々と説き伏せるように、言葉を重ねて行く。

 ずっと傍に居てやれない癖に、随分身勝手な発言だと自分でも解っている。

 だけれども、思って居る事には一切の嘘偽りはない。

 完璧になんてならないでくれ。

 完全にだなんてならないでくれ。

 如何か、一人で行ってしまわないでくれ。

 暫しの無言の後、徐に片手を持ち上げ、望美は片方の目を隠すように覆ってしまった。

「…ずるいよ、将臣くん」

 泣き笑いのような表情のままで、言葉が紡がれる。

 その頭を軽く引き寄せ、自分の胸に押し付けた。

 小刻みに震える肩を宥めるように、軽く撫でてやる。

「そんなこと言われたら、私、きっと…将臣くんに、頼り切っちゃうじゃない…。将臣くんは…還内府なのに…」

 紡がれた言葉の後半部分は、聞き取る事が出来なかった。

 ……いや、聞きたくは、無かった。

「……それで良いんだよ。俺が纏めて面倒見てやっから」

 言い聞かせるように、俯いた幼馴染の耳元で囁きかける。

「みんなが、苦しまずに済めば良いのにね…」

 本当に単純な願いである筈なのに、何よりも叶える事が難しい願い。

 悲しみに彩られた声を、其れ以上紡がせたくはなくて、肩を撫でていた手をずらし、細い体を力強く抱きしめた。

 どれ程のものを抱え込んでいるのか知らないが、その全てを何とかしようとしなくて良い。

 無理は、しないで良い。

「…もっと、俺を頼れよ」

 お前の負担を全て俺に押し付けたって良いから。


 完璧になんて、ならないでくれ――。





【Back】




2000をmackey様に踏んでいただきリクを頂きました。

裏熊野で知盛が絡む、将臣視点の将臣×望美で、神子として無茶ばかりしている神子、と言う感じのリクだったのですが…。

な、何か違う気がします…!(何時もながら)

こんなものを押し付けてしまって申し訳ありません!

ちなみに盈(み)つる事を欲せず、とは完全、完璧を望まない、という感じの意味である筈です!(適当か

何はともあれ、2000のご報告有難う御座いましたー!!(陳謝